姫野カオルコ周辺ブログ…運営&宣伝=KOGA工房

★小説家。嘉兵衛は雅号。「嘉兵衛」で「かおるこ」と読む。
 
ちょっと前のもの
 
(姫野カオルコtw. )小栗旬の石田三成の長浜
 小栗旬さんの石田三成、好演でしたね(NHK大河『天地人』)。
石田三成といえば長浜です。連休で京都方面に行かれている方、最終日の帰りにはぜひ長浜にお越しください。小栗旬の像が駅前でお出迎えいたします。石田三成像お茶を秀吉にさしだしてるのが小栗旬(石田三成)です。
続きを読む >>
大津市の事故現場を写したグーグル・ストリートビュー画像にネットが騒然…園児らが寄り添う姿
大津市の事故現場を写したグーグル・ストリートビュー画像にネットが騒然…園児らが寄り添う姿

園児も保育士さんにも問題なく、車二台もスピードを出しておらず、周囲の見通しはよく……なのに、なんでこんなことに…

(姫野)
(姫野カオルコtw.)平成の終わりというより、ようやく昭和が終わるように感じられる
平成が終わるというより、これでようやく昭和に幕がおりたという感じがしてならない。平成は、「章が変わった」というより「1行アケ」みたいな感じが、どこかにずっとあった。

高校のとき、剣道部の森修子さん(仮)が、「どうしよう。私ら、明治生まれみたいになってしまう」と心配していたのを思い出す。「明治生まれ、て、ものすご、おじいさんおばあさんていうかんじするやんか。そやけど、今の皇太子さんが天皇さんにならはったら、大正時代みたいになると思うねん。そやから、私らすぐに、明治生まれみたいな人になってしまう、どうしょ」と言っていた。

修子さんは、歯の下左5番に金色の詰め物治療をしていたので、大きな声をだしたり笑ったりすると、きらと金色に光った。上記の心配は、もちろん笑いながらのものであったので、平成が終わる日には、修子さんのことを金色の光とともに思い出すのである。

小学校や中学校では、私は彼女のようなタイプに会わなかった。地域的に。高校では、ときどきみかけた。勉強もスポーツもできる、というタイプは、小学校にも中学校にもいたが、そういう人は、勉強もスポーツも家にかかわることもクラスでの社交も、なにか顕在で、その人間を、他人が見るときに可視化しているどのジャンルにおいても、そうであることは顕在であってあたりまえだった。中学までは。

でも、高校に入って、他人に可視化している部分が、どれも問題のないことが、すんなりしている人というのが、ずいぶんいることを知らされた。

学年の男子も、他学年の男子も、他校の男子も、わざわざ「見学」にきたくらい、かわいかった宮×直×さん(水沢アキをもっと美人にして、ほっそりしたような)は、勉強もできて広島大学に受かったのに、滋賀大に進んだ(当時は国立一期と、二期が別試験日だった)。「女の子だから、自宅から通えるところでないとだめだ」とお父さんが反対したときいた。そういう時代だったから、女の子が東京に行くには、村人がなっとくしてくれるような道徳的な理由(信仰だとか、先生になるために教育学部に入るだとか)がないとだめだった。

そういう時代、とはなにも戦争前ではなく、修子ちゃんが心配していたのが笑えるような、そんなつい昭和の終わりのことなのである。

(姫野カオルコtw.)梨木香歩、野洲川、浮気(ふけ)かいほつ(開発)村
浮気(ふけ)という地名※が県内にあり、高校のとき、浮気(うき)くんという男子生徒がいた私は、滋賀県出身であるが、滋賀県に住んでいたころは、県内を自由に動き回れなかった。高校生以下だと、車もバイクものりまわせず、お金もないから、家と学校を往復するのが関の山だ。

梨木香歩さんが、「ちくま」2019・3月号(癸毅沓供砲亡鵑擦織┘奪札ぁ壁と双眼鏡、膝掛け毛布・連載45)に、野洲川について書いている。
「そうなんだー、へえ、そうなんだー」と感心する、野洲川の開発(かいほつ)にふれられていて、風景をHB鉛筆でスケッチしたような文章もさわやかである。


続きを読む >>
(姫野嘉兵衛カオルコtw. )池ポンは幼稚園で一番有名な女子だった
池ポンは幼稚園で一番有名な女子だった。女子で池ポンを知らないものはいなかった。もっとも池ポンというのは、小学校以降の愛称で、幼稚園のころは「カナちゃん」だった。「ああ、カナちゃんやろ」と、みんな知っていた。

なぜかというと、ヘアスタイルがおだんごだったからである。田舎である。ど田舎の幼稚園で、昭和30年代。女児は、みんなワカメちゃんの髪形だ。ショートに近いおかっぱで、えりあしは刈り上げ。

だからこそ、牧美也子先生や松尾美保子先生や細川千栄子先生や細野みち子先生の漫画に出てくるような、髪をツインテールに「できるほど」長い女の子の、リボンやカチューシャをした絵にうっとりしたのだ、みんな。

そんな時代の、そんな幼稚園で、おだんごにしているカナちゃん。ロングヘアだからおだんごにできるわけで、それは、ほかのもっさい女子(あしたいずみはるみちゃん仮名とか、ほらないさまよちゃん仮名とか、スターは除いて)にとって、「うわあ!」ということだった。

ヘアスタイルをアップにする(おだんご)と、大人びてみえる。そのせいだけでなく、カナちゃんはすらりと細くて、竹の子系の白い肌をしていた。
※白い肌には、子豚系と竹の子系がある。竹の子系の白い肌の人は、おおむね、毛細血管が透けず、均一に白い(高校の同級生のテニスぶのリエポンは子豚系の白い肌)。均一に白いので、おしろいをぬっているように(お化粧をしているように)見えるっぽい。なので、よけいに大人びて見えた。


げたばこが組別に並んだところがあって、そこで上靴から下靴に履き替えて表に出る。出ると4段のエントランス階段があって、階段をおりて左が、園舎の壁である。すぐ左の壁の窓から中をのぞくと、廊下があって、窓の真ん前は、鳥組の教室だった。(もちろん、窓は、サッシではなく木枠だ)

カナちゃんは鳥組で、ある日、外の窓のところで、つまさきだちをして、窓ごしに教室を見ていた。
私は、かわいくて有名なカナちゃんを、そばで見たくてたまらず、自分も、なにか室内に用事があるふりをして、となりで、つまさきだちをして、中を見た。

そしたらカナちゃんが、用事の詳細を、私に言った。なんの用事だったのか、まったくおぼえていない。自分は用事などなかったし、有名なカナちゃんが自分に話しかけてきてくれたので、ドキドキドキドキッとして、アガってしまい、うわのそらで返事したからだ。ほっぺたが熱くなっているのが自分でわかった。

ずっとずっとあとになって1980年代、タカラヅカ歌劇が、あたらしい組を設けることになり、名前を公募した。
私は応募した。自分が選ばれる自信はなかったが(私はクジ運が悪いので)、自分が応募した名前が新しい組の名前になる自信は(ほかの人が応募してきて、その名前になる自信は)満々だった。

応募した名前は、もちろん「鳥組」。私の通っていた幼稚園は、月組、星組、鳥組、雪組、花組だったのである。
そして、鳥組は、カナちゃんの組、ということで私にはきざまれていた。

老人になった現在、道で、バレエ教室から帰ってくる(出かける)女の子とすれちがうことがある。みなカナちゃんのヘアスタイルをしているので、そのたび、鳥組のカナちゃんを思い出すのである。

それから、「えーっ、宙組? なんでよー!」と憤った公募結果もちょっと思い出して、いまだに「鳥組のほうがよかったのに」と思っている。

あー、また、依頼もされないのにエッセイを書いてしまった。だからブログには極力、自分の意見を書かないようにしているのに。
(姫野嘉兵衛カオルコtw. )秋田県庁の世間瀬千代松さん、同級生のセマセくんと仮名にしていたが、セマセさんという方がほんとにいらした
同級生のセマセくん(小学校時代はヨーちゃん)というのは仮名で、同級生にはだれのことかすぐわかる仮名ですが、セマセという苗字の方がほんとに秋田県庁の耕地課にいらした(むかし)。
東大の上野先生の教え子でハチ公をもらってきてあげた方。
新しい銅像(上野先生に会えてよろこぶハチ)もできてセマセさんも天国でよかったと思っていることでしょう。
(姫野カオルコtw) コカジヨウコちゃんが癌で亡くなった。同級生の訃報がもう日常的になっている。
ソフトボール部だったんだよね。コカジヨウコちゃん。中1のとき、「サッカーが好きです」と言ってたけど。そのとき、「だれが好きなの?カマモト?」とフルサワ先生が家庭科の時間にきいて、たぶんフルサワ先生はカマモトだけ知ってたんじゃないかかなと思うけど、ヨウコちゃんはちがう選手を答えて、私もカマモトしか知らなかったのと、よく聞こえなかったのとで、答えを忘れてしまった1971年の4月。

家庭は1組と2組の女子でやった。図書館にあがる階段を通り越して先に行ったとこにあった。黒板に向かって作業台(6人が1台使う)についた椅子にすわると、左手に中庭が見えた。

ショートボブをくるくるりんとパーマかけた新卒のフルサワ先生。コカジヨウコちゃんはストレートで、肩よりちょい長めのボブで、それがサイドから背中にかけてUラインを描いたカットだった。
高校のときもこの髪形だったな。

同じクラスになったことなくて、中3のとき、2組で、ときどき男子のコカジくんにメモを渡すのに仲介してもらった。
元気で質実で勉強がよくできた。オザキアヤちゃんもだけど、運動部で元気だった印象の人が早く亡くなると、思春期青春期の輝きは、残酷なほど増してよみがえり、泣けてくる。

東大の教養学部の人はまだ若くて、私のことなんか大嫌いだろうが、東大でも何大でも元気な輝きのなかにある人を、「わこうどや」とお茶の水博士のように、こっちのほうは慈しみで見つめているんだよ、わかってもらえないだろうけどさ。
大津市のN・TMさんへ
大津市のN.TMさん。手紙に書いてあったメアド(@yahoo・・・)にメールすると、「このメアドは無効です」とメーラーが言ってきます。メアドがまちがっているか、変わったかしてませんか? (姫野カオルコ/姫野嘉兵衛)
大分舞鶴高校ではないんだが、姫野カオルコ同級生のみなさんへ
大分では姫野ってものすごい多い。そして明治大正のころに関西に移住した人が散在している。そんでね、姫野カオルコ同級生って、わからない人は、今日2018・12・7の朝日新聞の夕刊を見てください。…といっても関東版朝日なんだが(涙)写真で、高校時代のことを思い出してくれる人が…いるかな?

でも大分舞鶴高校の人が見て…この、舞鶴高校っていうのがまた、関西の人には「え?関西の、あの舞鶴?」って思うような高校名なんだけど…あの、うちの父親がシベリアからひきあげてきた舞鶴ではなくて、大分の舞鶴の高校を卒業した方が、朝日新聞を見てメールをくださった。*****以下です。

*****
姫野さん、「メアリーの総て」の広告、拝見いたしました!お写真にうつったお姿も、右胸のファンクラブのバッジも、拝見いたしました!!
お元気そうでありますこと、なによりです。
そして、ミッシェル・ポルナレフ!
私にとりましても、ミッシェル・ポルナレフの『愛の休日』は、「マイ・ファースト・洋楽」ともいうべき曲で、鮮烈に記憶に残っております。調べてみると、1972年の曲なんですね。大分市の牧というところに住んでいた、城東中学校の2年生の頃の歌です。いま、YouTubeで『愛の休日』を聴くと、13歳の自分のいろいろな記憶が甦ってきました…。
そして…11月24日(土)に、大分舞鶴高等学校という、ラグビー全国制覇で名を馳せた県立高校の24回生の同窓会があり、大分に帰ってきました。
およそ500人の卒業生うち、140人ほどが集まり、加えて、恩師の先生方も10人ご出席いただいた、いわゆる「還暦同窓会」というものですが、卒業以来、初めて開かれた学年全体の同窓会ですので、じつに愉しく、感慨深い6時間でした。
それぞれに、苦労もあり、楽しいこともあった42年間。そして、その42年間を、あっという間にタイムトリップするような不思議な感覚。
高校を卒業して以降、ほとんど大分に帰らず、中学・高校時代の人間関係から離れていた私のような者にとっては、本当にありがたい還暦の同窓会でした。

*****


↑はね、還暦で、同窓会に出席した方の衷心のメールだと思うの。だから、もし、もし、このブログ、見た人で、滋賀県の・・・高校の同級生のみなさんも1月3日の学年同窓会、ぜひ参加してください。
参加の場合は、ここに詳しく書けないので、学校のそばの市役所の、同級生のとこに行ってきくとか、同級生の議員さんの「チョイ悪」ふうだった彼に訊いて。議員さんの名前で検索したらメアドも出てるから。
 
姫野カオルコ同級会、1月3日、滋賀県
2019・1・3に同窓会あります。くわしくはここに書けないので、あなたがいつも連絡してる同級生にきいて。あるいは高校のそばの市役所にいって、同学年の人にきいて。たくさん勤めてるから。ヒラキくんとかデジマさんとか。シダくんとか。

もうわれわれは、老い先、短いんだよ。今、会っとかないと、元気なうちにもう会えるかどうかわからないじゃない。「チャンス」「機会」ってお金で買えないから。

3−7の人は「teacup同級生掲示板ふな」で検索してみてくれ。「滋賀県ふな」で検索したらだめだよ。関係ないものばっかヒットしてくるからね。この掲示板は会員制なのでパスワードを要求される。パスワードもここには書けないから駅前のタカダくんとこの蕎麦屋にお昼にでもいって蕎麦食べてきいてくれ。

でなかったら、そうだな。ほら、同級生の議員さん。体操部のスガちゃんと結婚した彼。彼の名前ならわかるだろう?彼の名前で検索すると、メアドも出てるから彼にきいて。

(姫野カオルコ/姫野嘉兵衛)
続きを読む >>