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★小説家。嘉兵衛は雅号。「嘉兵衛」で「かおるこ」と読む。
 
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NHK朝ドラ「おひさま」と「ハルカ・エイティ」 (ブログ内全記事まとめ)

■2013・10・1
9月下旬のこと。二人の人から、ほぼ同内容のことを言われた。
二人とも『ハルカ・エイティ』とNHK朝ドラ『おひさま』について言ってきた。
世間が『あまちゃん』ブームに沸くなか、なんでまた今ごろ『おひさま』のことを言ってきたのだろうか?
返答しようかとも思ったが煩わしくなった。ここに過去の記事を一覧できるようにすることで、返信に代えることにした。

お二人に、まず、言っておきたいこと。
「『おひさま』が『ハルカ・エイティ』のパクリだ」とは、私が言い出したことではない。

私の家にはテレビがない。『おひさま』も見たことがない。
スポーツ新聞のニュースを見た人が何人もいて、その人たちのあいだで話題になって、それを聞いた人が私に言ってきた。「これハルカ・エイティのパクリじゃないの?と言われているよ」と。

「へえー」と思い、私はスポーツ新聞を見た(2011年の6月某日)。そして思ったことを書いた。とくに「おひさま」だけでなくその日の日記ふうのことだった。これを最初のブログ記事として、以下、これまでの「ハルカ・エイティ&おひさま関連」の記事を、順に一覧できるように一つにまとめた。

一つにまとめないと(クロニクルに並べないと)、なんだか喧嘩がおきているような誤解を与えるからです。喧嘩じみたことはいっさいおきていませんので誤解なさらぬよう。

■2011・6月の、最初の記事。
 この記事はもうない。アップしたあと三日ほどで消してしまった。「おひさま」についてというよりは、その日の日記風だった。当ブログは、基本的に拙著の販促や、次回のエッセイのラフを目的としているので日記はどんどん消していく。しばらくたって、↓のような状態になったのである。以下からは記事が手元に残っていたので、そのまま、ここに一覧できるようにする。

■2011・7・23記事
 当ブログの、デザイン管理宣伝をしていただいているkoga工房さんも、私も、ともにびっくりしているのは、このところの異様なほどの大アクセス人数! 「『嵐』の二宮くんと熱愛報道されたわけでもないのに(ありえないが)と、首を傾げていたが……もしかしてこれ↓のせい?
 http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-43585

2013・10・1注…現在は↑をクリックするとTVドラマについての記事になっています。が、2011・7・23にブログを書いたときには、このURLをクリックすると「〃おひさま〃が〃ハルカ・エイティ〃のパクリではないかと話題になっている」という旨の、ニュースのような記事でした。

■2011・7月末ごろの記事
 びっくりするほどアクセスが増えつづけるので、『ハルカ・エイティ』と『おひさま』について、まとめてふりかえった記事を書いた。その記事が以下↓(長い)。

おひさまとハルカ.JPG

「戦前・戦中・戦後を常に前向きに生きた女性の一代記」 
(「ハルカ・エイティ」帯より↑)
「激動の昭和を明るく生きた女性の一代記」
 
(「おひさま」新聞ニュースより↑


「女性初の飛行家であるとか、女性ではじめてスーパーマーケットを海外に作ったとか、なにか特別な人というのではなく、ごく普通の女性が主人公で、彼女の周りも普通の人。たとえ戦時下でも、戦前でも、戦後でも、普通の人が泣いたり笑ったり怒ったりして平凡に暮らしている幸せを描きたかった」
(2005年『ハルカ・エイティ』単行本発刊時の姫野カオルコ・著者インタビュー↑より)

 NHKは11日、来年3月末から放送する連続テレビ小説が「おひさま」に決まったと発表した。ヒロインを演じるのは井上真央。脚本の岡田さんは「激動期を生きた、ごく普通の人たちの喜びや幸せを描く」と話した。
(2010年8月12日、NHK「おひさま」制作発表ニュース↑より) 


**********
  2010年秋だったか、ある恐竜のアニメ映画が公開された。ポスターを見て私はてっきり、T.J氏の漫画のアニメ化なのだと思っていた。ところが作者も作品も、全然別ということを知り、たいへんおどろいた。
 そのアニメ(そのアニメの原作小説)と、私が知っていた某漫画は、重要なセリフからキャラ設定から、そっくりそのままといっていいほどそっくりなのである。※1
【※1】
某恐竜漫画=t.j氏の作品。Trexが別種の恐竜の子を育てるエピソードはリリカルでユーモラスな傑作。読んだとき感動してスクラップしたくらい。てっきり、この漫画をアニメ化したのだと思っていたのだが……。


 だが、私がおどろいたのは、「盗作か否か」ということではない。「盗作か否か以前」のようすについてである。
「二者がそっくりだということが、なんで話題にならないの?」というおどろきである。
 盗作か盗作ではないかは、当事者ならびにその関係者が調べたり論じたりすることである。
 真偽のことは措くとして、「一般的な話題」として、なぜ「そっくりであること」が、わきあがらないのだろう? 

 考えた。答えはたぶん、「知っている人の群」が重ならないため、だろう。
アニメ原作はジャンル分けすると児童文学。児童文学A。漫画は青年誌に掲載されたもの。青年誌漫画B。
「児童文学Aを知っている人群」と「青年誌漫画Bを知っている人群」は重なっている部分がきわめてきわめて小さい(少ない)のだ、きっと。

 実は、私にもちょっと思い出がある。
 10年ほど前のこと。題名を忘れてしまったが、水×美紀主演の連続ドラマがあった(民放・夜放映)。たまたま第一回目を見た。
 美紀演ずるヒロインは32才とか33才で、ばりばり仕事をしているのだが処女。つねひごろ「なんとかセックスしていただこう」と思っている。そんなときにチャンスが訪れるのだが、「セックスしようと思っているのに、できない事態」になる。
 これだけの要約では、わかりにくいだろうが、見ていた私は、随所のセリフや、シーンや、ギャグ(?)に、ことごとく見覚えがあるのである。みんな自分が小説で書いたことだからである。なんとも居心地の悪いまま見終わり、第二回目からは見なかった。
 この場合は「人群」の重なりの少なさではなく、いっぽうの「人群」がきわめて少ない(つまり私の作品の読まれ度vsTVドラマでは、知っている人の数が全然ちがう)からだが、そうとしても、こういう話は、実は出版界には、もっともっともっともっともっともっとある。

 「作家のAさんが某民放とプロデューサーを訴えた」「作家のBさんが、某TVドラマは自分の小説とそっくりだと嘆いている」「作家のCさんの某という小説と、いまやってるTVのドラマは設定がまったくいっしょ」という話を、いままでどれだけ聞いたことか。
 ところが、世間では話題にならない。
「小説をよく読む人群」と「TVドラマをよく見る人群」は、ほとんど重なっていないからである。「読む」のがニガテな人がTVドラマ「だけ」を見るからだ。
 また、訴訟しても、99%の確率で小説家・出版社がTV局に敗れる。創造物の「相似」と「剽窃」の境界を、客観的に立証するのは極めて困難だからだ。換言すれば、盗作はしほうだいなのである。
 たとえば、Aさん作の小説『A』を、盗作した(あるいはマネた、あるいはヒントを得て、あるいはインスパイアーされて、などと換言したところで)TVドラマ『B』がヒットするとする。多くの人は、小説『A』の存在など知らないままに終わる。「ヒントを与えたもん負け」なのである。

*****
 そこで、私は、ならば書くにあたり、最初からテレビドラマ化を狙ったらどうかと考えた。
 それが『ハルカ・エイティ』である。
 大森望さんに日比谷で会ったとき(カラオケに行ったときの次に会ったとき)、私としては彼にはっきりつたえたはずなんだけど、場がやかましかったので耳に届かなかったのかな。大森さん、私は、『ハルカ・エイティ』はNHK朝の連続ドラマ化を狙ったんだよ。

『おはなはん』に代表されるように、つまり、日本社会が受け入れる「善」として、
厳しい父&自由に生きる娘=厳しいけれど根はやさしいパパ&おてんばだけど根はパパが理想の恋人=若くない男&若い女……という構図がある。
 この構図にして、時代背景を戦時下から終戦後の復興期にすれば、最強の売れる路線になる……と、私は考えた。

 この路線は、私の最大の苦手な路線である。
 なぜなら、私には、この路線にいる父と娘が、現実に存在する生物として把握できないからである。これは決して、自分が不幸な生い立ちだったということではない。「父なる存在(本当の父でなくてもよい)に親しめるセンス」の欠如という意味である。このセンスが欠如していると、売れる人、にはなれないんですよ、女性の場合。
(売れる=多くの人から認知される、という意味で使っています)

 しかし、苦手なことにとりくまなくてはならないことも職業作家にはあるのである。
 職業芸能人なら、低い鼻を高くするには美容整形手術でシリコンプロテーゼを注入するように、生来低い鼻なら、整形という努力をするべきなのがプロ(職業)ということである。
 ゆえに、大森さん、私は思ったわけである。
「よし、NHK朝の連続ドラマになるように書こう」
 と。ほんとにならなくても、とにかく、そういうつもりで、ということだ。

 それに加えること、私の伯母の発言に発奮した。
「戦争中のことをしゃべらはる人は、苦労した、苦労した、あんたら若い人にはわからへんやろ、ばっかりや。そんなことしてたら、若い人なんか耳かさはらへんわ。戦争中にかて、ふつうに暮らしてたんや。戦争中にかて、女学校では、イケメンの中学生(旧制のことね)にさわいでたりしたんや」
 伯母は言ったのである。ほんまや、そのとおりや。司馬遼太郎は戦国時代に生きてはったんか。藤沢周平は江戸時代の人か。その時代に生きてへんかったら、その時代のことを書いたらあかんということはないわ。と、私は思った。
 そこで私は、戦前・戦中・戦後の、平凡な平凡なふつうの人の、平凡な平凡な人生のようすを、伯母だけでなく、何人もの方にいろいろとお話をうかがって、NHK朝ドラの路線もふまえて書いたのが『ハルカ・エイティ』だったわけである(だから『ハルカ・エイティ』は姫野カオルコ作品の中では異質と分類する編集者・読者もいる)

*****
……と、このようなことを、『ハルカ・エイティ』が、文春文庫になったとき(2008年10月)、ブログに書いたのだった。

 そして年明けて2009年初頭、ほんとにNHK東京から『ハルカ・エイティ』を朝の連続ドラマに、という連絡が来たんです。文春の映像化フロント部署のH鳥Y之さん経由で来たのです。
H鳥さんは、私にNHKの希望条件をつたえてきました。
・「風のはるか」という連ドラがあったので、タイトルを変える
・舞台を、関西ではなく、方言のない地方に変える
・朝にはふさわしくないシーン(主人公が夫以外の男性と恋愛する場面など)はアレンジする
 この3点。
「ですから、原案、ということにして、いいでしょうか?」
という旨の連絡だった。「了承しますとお伝えください」と私は答えた。答えはH鳥さん経由でNHKに渡った。

 だが、その後はなんの連絡もなく……。

 そして、2010年、あるとき、私は「次の朝ドラはこれ」のニュースを新聞で見ました。『おひさま』のおしらせを定食屋のスポーツ新聞で。セーラー服をきた女学生が明るく笑っている写真。
「まあ、『ハルカ・エイティ』の単行本みたいに自転車に乗ってる」
「まあ、ハルカと同じく、先生になる話」
「まあ、舞台は『リアル・シンデレラ』と同じ長野県」
 スポーツ新聞を見て、私はよくわかりました。
「やっぱり私の小説の映像化は実現しなかった」
 ということが。

 さばの塩焼き定食を食べたあと、しずかに帰ったのであった。
 なぜしずかに帰ったかというと、世の中とはこうしたものだからである。この話をしたところでハルカをまねされたというはなしにはなるまい。また、そんなつもりがだれかにあったわけでもあるまい。
 世の中のほとんどは、タイミングとか運とか縁とか流れとか、「何かしてどうなるものではないこと」で動いているのである。
 また「ほんとに連ドラ化されなくとも、されるようなはなしを書く」という目標は、まあ達成されたのだと思い、しずかに歩いて帰るのである。


↑この記事を読んだ読者から、ここではなく別の掲示板におしらせがあった。
水●●紀主演のドラマのタイトルは「初体験」だったとのこと。えーっと、拙著には『初体験物語』というのがあります。さらに、このドラマ枠の次のドラマは「整形美人」でした。えーっと、拙著には『整形美女』といのがあります。(`´)


■2011・8・19記事
 先日、『ハルカ・エイティ』版元の文藝春秋文庫編集部に匿名の電話があったそうだ。
匿名氏「もしもし、『ハルカ・エイティ』を読んだんですけどね……」
文春社員「弊社の刊行物をお読みいただきありがとうございます」
礼儀正しさでは出版業界随一の文春社員は落ち着いて答え、「して、お電話の御主旨は……」と、匿名氏に訊ねた。

 匿名氏は、「NHKおひさまとハルカ・エイティの類似性」について、滔々と御意見を述べたという。
「『おひさま』は、戦後になったら、『ハルカ・エイティ』と似せなくさせたのよ。そしたら『おひさま』はがぜんつまらなくなったのよ。これはやっぱり問題でしょう。どうして文春さんや姫野さんはNHKに抗議しないの? 抗議できない理由でもあるの?」
 ……というような電話だったそうだ。

 私が直接受けた電話ではないので多少のブレがあるかもしれないが、まあ、だいたいこんなような電話だったそうだ。
 私としては光栄な電話ではありましたので、この電話の主には御礼を申し上げます。

 さて。
 過日のブログのとおり、わが家のTVは映らないし、映っていたころから『おひさま』を見ていなかったし、はっきり言って私には、この問題、わからないのである。

 わからないが、この問題を追求したい欲求がおこらない。

 なぜかというと、追求したところで答えなど出ないだろうし、過日に書いたとおり、「だれかが悪意をもって何かした」というようには、思われないからである。

 私はかねてより岡田恵和さんの脚本が好きで(桃井かおりと田中美佐子と岸田今日子が出たドラマなどは、「すじ」ではなく「会話」で見せる力があって秀作だった)、それこそタイミングや流れさえ合ったら、いつか自分の小説をドラマにしてほしいものだと思っていたから、残念といえば、そんな日がまだ来ないことである。
 ヒロインのマオちゃんも銀行のポスターに出てたときからかわいいなあと思って好感を抱いていたし(とくにオデコ)、樋口可南子さんにいたっては写真集を買ったり、写真の切り抜きを集めたりしてずっとファンだった。ふとした機会があって、暑中見舞いをいただいたことがあるのだが(樋口さんから)、外見もあんなにお美しいが、字もすごくお美しく、ますますファンになったのでした。でもまあ、TVが映らないからどのドラマも見られないんですけどね。

■2011・10・1
 そして今日という現在。先週と今週に連絡をくれたお二人。
 こうして順に並べれば、少しはわかっていただけたでしょうか?

 年月がたった今、私が思うことは、「これは事務ミスではなかったのかな」です。

 NHKの「おひさま」の企画者は、文春のH鳥さんに連絡してきたとおりに思っていた。脚本の岡田さんもそう思っていた。→そして「おひさま」チームは、脚本を作ったりアレンジしたりする作業をすすめていった。→最終段階になった。→その時点での最終判断(=原案とするか否か)はどうであったにせよ、ともかくも「結果」を、オファーした相手につたえるるのが筋です。
なのに、それが抜けてしまった。

なぜ? 事務的ミスをしでかした社員がいたのではないか。私はそう思っています。

 というのも、このことよりさらに前にも、NHKには「十代しゃべり場」のスタッフからメール連絡を受け、それに返信したのに、そのあとのレスポンスがまったくなかった。オファーメールに、オファー相手から返信があったら、レスポンスするのが会社員なら常識でしょう。それがナシのつぶてだったという、「いかがなものか」的思い出があるのです。

 「さすがは大きい会社だのう」と思いましたよ。
 というのは…、大きい会社では、デキてよく働く社員は、ほんとに倒れるほど働いています。その一方で、デキない社員はあきれるくらい仕事しない。両極端になっていることがよくあります。

 アリの観察をしても、一定数のアリを囲った場所においておくと、働くアリはものすごく働くのだが、ぜったいになーんもしないアリの集団ができるのだそうです。
 で、なーんもしないアリだけを、また囲った場所においておくと、せっせと働くアリと、なーんもしないアリに分かれる。…とかいう生物観測記をどこかで読んだ記憶が…。

 また、私もNHKに、もっと早い段階で、「あのようなオファーをしたわけですから、どうなったのでしょうか」と訊けばよかったのです。
なぜしなかったか?メンドウなわりにメリットがないから。
お二人に、強く言いたいことが一つあります。
こういうクレームは、つけたところで小説家にはメリットがないんです。
 誤解しておられるようですが、このことは肝に命じてください。


 たとえ裁判おこしたところで、メリットは、私には何一つないんです。
 裁判になったって、それで勝訴したって、「ハルカ・エイティ」は売れないんです。
 世間の人というのは、「死んでもラッパをはなしませんでした」じゃないけど、「死んでも本にはお金を払いません」という人が大多数です。本は図書館で借りるしかしない。とにかく本は買ってくれません、世間の大多数の方はね…。なので、そんなメリットのないことに労力を使うと、次の作品の創作のエネルギーを吸い取られて、デメリットのほうがはるかに大きくなるのです。


※「死んでもラッパをはなさない」=検索して調べて
※「世間の大多数は本を買わない」=「そんなことないじゃん、すごく売れてる本あるじゃん」と言われるかもしれませんが、そういう本は、「普段は本は読まないけど、その本を買うこと自体がファッションになっている本」です。大多数の人は、「買うこと自体がファッションになっている本」だけをお買いになります。