姫野カオルコ周辺ブログ…運営&宣伝=KOGA工房

★小説家。嘉兵衛は漢字表記。「嘉兵衛」で「かおるこ」と読む。
 
ちょっと前のもの
 
バーニーマウンテンドッグの友達が永眠しました
バーニーマウンテンドッグの友達が(11/23木曜夜)、永眠してしまいました。


最近、
コヤブさんの訃報も入りました。
マナミちゃんの訃報も入りました。

〜姫野嘉兵衛(カオルコ)
ものすごいショック、あさま山荘
2月後半に突入するので、あさま山荘事件であるが……。

今日は、2023年2月13日である。
同級生たちは、もちろん、私と同じ年である。

同級生たちは、私が13歳だったとき、もちろん13歳だった。

13歳である。4歳とか5歳ではない。

もちろん大学生ではない。
だから、あさま山荘や、そのあとの山岳ベースリンチ事件が
ニュースで報道されようと、
詳しいことが理解できていなかったのはともかく、

こういう事件があった
という記憶(印象)は、強くある……のが、
あたりまえ
だと、今日まで思っていた。

ところが、
同級生には、
「おぼえてないわ」
という人がいることが、同級生数人へのアンケートでわかった!

ショックである!!

こんなにショックなことはない!
おぼえてない?

早期発性認知症ではないのか?
こわくなって心配になった。
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タイガース、ピー、クリスマス
タイガースのピーさんからクリスマスプレゼント?
https://m.youtube.com/watch?v=K-8y4fpAWCc&feature=youtu.be

〜姫野カオルコ
動画・近所の犬
https://www.youtube.com/watch?v=L_L3YdmVQDA
1高校生レストラン、ダウンタウン、ガキの使いやあらへん
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1299662822

「高校生レストラン」は見たことないですが、
大谷昭宏※さんを除く非関西人が、
ダウンタウンのテレビ番組の
『ガキの使いやあらへん』
を言う(発音する)だけで、
落ち着かないというか、
お尻がもぞもぞする感触がします。

つづきは後日

〜姫野嘉兵衛(カオルコ)

※大谷昭宏さん=各自検索乞う
2、ツイラク、校歌の佐々木貴之くん 〜姫野嘉兵衛(カオルコ)
読者目線は無視して、もう、勝手に裏話をするその2
(その3は、このあともうすぐアップします)

B7の替え歌を、作詞したのは、だれか?
「フカオか、たぶん、m田×××ゴやろ」
って、ほぼ50年ぶりに会って、
b7は言っていたが、

まず、作詞はフカオくんだと思う。
だって、対抗してb7は、
「フカオト××キ、悪い男、胡瓜せんせに怒られて」
って、替え歌作ってたから。
(胡瓜先生=仮名)

「いい男」に対抗して「悪い男」にしたんだろうが
あの替え歌の「いい男」って、
時代劇の「ええもん、わるもん(いい者、悪者)」とはちがう「いい」なんで、
それを「悪い」にしても、
しかも、「ソーラソミレー」の部分が、「いーいおとこ」じゃないと
音と合わないし、そこもネック。
そりゃあ、ヒットしないよね。

まあ、これはおいておいて、

m田×××ゴさん。

この人の正式名、50年ぶりに知りましたよ。

胡瓜先生(仮名)に、なにかを質問された。
家庭についてか字別児童会関連かのことだった。
B7は答えた。

「お隣の兵庫くん」

その、東日本のアクセント!
いやもう!
東日本の人にはわからんやろね。
わからんやろね。

関西の、田舎の小学生の耳に入る東京のアクセント!
ぜんぜんちがうんだよ。
関西の子供は、無理してソルフェージュするとだな、
「お隣の兵庫くん」は、
レ♯ レ♯ レ♯ ファ ソ(お隣の)、
ラ♯ ソ ファ レ♯(兵庫君)

なのにB7は「お隣の兵庫くん」。
ぜんぜんちがうんだって!
しかも、「隣の」じゃなく「お隣」というハイクラースな雰囲気
(わかってるよう、本人はそんなつもりじゃなかったんだってことは。
でも、田舎の子にはサングラス必須だったんだよう。)。

それだけでも、うひゃあ〜〜って思ったのに、
隣人の名前。兵庫くん。
「兵庫くん? 隣人まで、武士みたいな名前」
と。
B7のお父さんの名前とあいまって、ダブルで
「すごい〜〜」と、またサングラスだったんだよう。

ほぼ50年ぶりにB7に会って、
自分が名前を聞き間違えていたことを
(B7が、水泳の帽子のセンをテンと聞き間違えた、転校初日の、
私の臨席のときのように)
知った。

ひょうご、くんじゃなくて、・・・ごくん、だったのね。
今をときめく直木賞作家と同じ名前。

あの人のことは、
あの人として、
印象的だった。
『素浪人月影兵庫』を見るたび、思い出してた。
1、ツ、イ、ラ、クについて、舞台裏を語る 姫野嘉兵衛(カオルコ)
ブログについて、以前は、不特定多数の人が読んでも、それなりにわかるように書いていた。
推敲がまだできていないものの、無料エッセイのようなスタンスだった。

そのため、仕事にさしつかえが出るほど、時間がかかり、ものすごく仕事に支障が出た。
もう、そういうことはいやになった。

勝手にしゃべることにした。


小説を書くとき、だれか一人をモデルにすることはない。
そんなことをすれば、それは、その人の、一種のルポである。
フィクションとしてのルポ。
『竜馬が行く』とか。

私にもそういうものはある。『ハルカ・エイティ』。

そういう、
モデルを意識した小説、は別にして、

ほかの小説の場合、
どの作家も、小説を書くとき、だれか一人をモデルにはしていないと思う。
3人くらい合わせて3で割ったかんじで、顔は2人くらい合わせて、2で割って、というくらい切り貼りしているのである。

私の場合、小説を書くとき、 キャスティングからはじめる。
「変奏曲」は、ナスターシャ・キンスキーとアンソニー・パーキンス。
じっさいに映画で共演させようとしたら、
年齢や、人気のピーク時がちがうので不可能だが、
「イメージ・キャスト」なら、

「今のままでいて」のときのナスターシャ・キンスキーと、
「死んでもいい」のときのアンソニー・パーキンスが17歳だったころ
で共演させることができる。

『青春とは、』は滋賀県の公立高校が舞台だが、
それだって、同級生のAさんとBさんと足して2で割って、
なんとか先生は、なんとか先生の外見に、別の先生の性格を入れて、
住んでるところはCくんの町、みたいに、ミキサーにかけているのである。


『ツ、イ、ラ、ク』の森本隼子であるが、
なんどもこれは、著者インタビューで話してきたが
これはもう、ただ一人がイメージ・モデルである。
ソフィー・マルソー。

セクシーな写真集を輸入してまで、『ツ、イ、ラ、ク』を書いているときは、
机の前にひろげていた。
ソフィー・マルソーの14歳時。
でも、鼻をちょっと低く、目を黒に、髪も茶色がかっているとはいえもっと黒く、
と日本人にアレンジした人が、森本さん。

ソフィー・マルソーがモデルだけど
では、ソフィー・マルソーと私が同級生だったか?
ソフィー・マルソーが滋賀県の田舎町の公立中学に通ってたか?
だいたい日本語話せないだろう?
モデル、といっても、そういうイメージのモデルである。

「じゅんこ」という名前にしたのは、
私とは違う学年の人に「じゅんこ」という名前の人がいたから。
その人を、私は見たことない。
顔もしらない。
ただ、ある先生の事件があって、
その聞き取りをされたという、たんに噂だけ聞いたから。

その事件は恋愛事件ではない。
日教組の運動が目につくということで冤罪めいた事件。
ミラちゃんでさえ、
(あのやさしい、自分の主張をすることなんかないミラちゃんでさえ)
「あんないい先生が。ぜったいにあんなのおかしい」
と怒ってたくらいだったし、
あとで(大人になってから)聞いたところでは、ほんとに冤罪だったようだけど

ただ、そのとき(ツイラクのときは)
早く書きすすめたくて、名前決めてる時間がもったいなくて、
もう、ぱっと拝借しただけだ。
だって、「ソフィ子」なんて名前にできないじゃないか。
そっか、sophie だから智子にしたらよかったのか。
思いつかなかったよ。
急いでたから、
新撰組に伊藤隼之介というのがいたからその漢字とった。

なのに「この森本隼子さんは、まるで私のことみたい」
って、およそ森本さんとはにてもにつかない、皮蛋の妹さんから
言われたときは、「すなおな人〜」って思ったけど。


河村は、しょうがない。
ソフィー・マルソーの相手するのに、
野球部のきりのくんは無理でしょう。

そしたら、職業作家としては、もちろん
配置するのは、ああなるじゃん。

私の通ってた中学校に
河村みたいな存在は、いなかったよ。
新卒の若い国語の先生はいたけど、
その人、中田カフスボタンの、賭博で逮捕されたほうじゃない、
あとで吉本とモメた人のほうにそっくりだったし、

なにより、もう、今思い出しても、腹がたつほど
「文学」というものからかけはなれた先生だった。
理系の先生ならともかく、国語で、あれでは。

あの先生は、学芸会でマリー・アントワネット役をするとよい。
生れてからこのかた本を一冊、読了できたことがなかったんじゃないか?
ってかんじの人だった。


だから、森本さんのモデルはソフィー・マルソーです、って言ったところで、
ソフィー・マルソーが、私の通った中学校でやったことを小説じたてにしたわけではないですよ。
あたりまえでしょうが。

こういう意味での、イメージモデルなら、
佐々木貴之くんは、
b7です、と言えますよ。

ハルちゃんとのこととか、ぜんぜん、創作ですけど。
ソフィー・マルソーと同様に、イメージということなら。

ただ。
ただ。
あの歌。
あの歌は、 ほんとに実話から拝借しました。
ごめん。

もちろん、作中の、校歌は創作
替え歌も創作

しかし、校歌を替え歌にされたというエピソードはほんとにあったことだ。

そして。
どんなに苦労して創作しても

あの替え歌だけは、
事実の替え歌のほうが、優れていた。

というのは、昭和40年代の校歌というのは
だれにでもおぼえられるような旋律で
どこの学校でも似たようなものだったからだ。

私の通った小学校の校歌は
校歌の典型のような旋律と歌詞であった。
すぐにおぼえられた。

「たんたんたぬきのきんたま」
っていう替え歌は、
「たんたんたぬきの ・・・」えっ、本歌はなんだっけ?ってくらい、
替え歌のほうが有名だろ?

それは本歌が、だれにでもおぼえられる旋律だからだろ?

私の通った小学校の校歌は、
歌うと、聞いた人は、すぐにでも歌えるようになる。

『ツ、イ、ラ、ク』が出たころ
角川書店の人たち数人でカラオケに行ったことがあって
ちょっとアカペラで
b7の替え歌をうたったら、
みんなおぼえてくれた。

読んでから見るか、見てから読むか。
歌ってから読むか、読んでから歌うか。

そういうわけで
B7の替え歌は、いまでは角川書店の人もみんな歌える。

作中の、創作の
「さざきの名、貴之、横浜、いい男
女にモテるキスされる」
っていう替え歌は

自分で言うのもなんだが、労作である。
作った替え歌と、ほんとの替え歌と
作った校歌と作った替え歌の
4者をアレンジしなくてはならなかったからだ。

けど、
ほんとのB7の、あの歌には、とうていかなわない。
だって、ほんとのB7の替え歌の、白眉の部分が抜けてるんだもん。
「いつも〜〜 って〜〜」
(こんな場所でも伏せておくけど レーレミ ファーファ レーレ ミーミミラーソ、の部分)

あの部分。
b7は、ほんとにイヤだったと思う。

8歳の、中田カフスボタン似の国語の先生(実在の人物)より、
ずっと文学という感覚にそぐっていた少年が、
あれ言われたら、ほんとにイヤだったと思う。


だれが作詞したのか※
彼らも、替え歌きいてウケた同級生たちも、
全員、B7が「〜〜っている」とは、ちっとも映っていなかったんだよ!

ちっとも「〜〜ってる」とは映ってなかった。
でも、b7は、
田舎の子には、サングラスしたいほどまぶしかったんだよ。
b7の特質というか、長所が。

あんまりすばらしくて、
「いつも〜〜って 〜〜顔」
って、だから、言ってしまってただけだったんだろうけど

本人には、すごくイヤだったことも
私はよくわかるよ。

そういうことを、
いろいろと話せるような
友達になれるんじゃないかと(A)、

イソベ先生のクラスから 出てきて思ったの。
「ひまわりの種なんか食べたら、おなかこわして死んでしまうわ」
とイソベ先生が言った日。
ナカムラ×シ×ロくんの「菊の花」についても全否定した日。
私は理不尽でならなかった。
他人の発言への全否定ながら。

だから、そう(Aのように)思って、
この人になら、家のこと話せるかもしれない
と思ったのに、瑣末な誤認のため、

この日よりあと、以降、57年間 も、
あんなことから、互いに事実を誤認したままだったのは
ああ、人生とは、本当にうまくいかないものですな。

それから
くりかえしますが
牛は、たんにたまたま、あそこにいただけなんだよ。
みんなびっくりしたんだよ。







青春と読書、古尾谷雅人、オンリーユー、きみはぼくの、過ぎ去った夢のひとつ オンリーユー 忘れないきみのこと  いつまでも
by 姫野嘉兵衛(カオルコ)

3月21のころの備忘録を出してきて見た。
2003年。
-----
3月26日(水曜)
古尾谷雅人が死んでしまった。
45歳。
きみはぼくの
過ぎ去った夢のひとつ
オンリーユー
きみのこと
忘れない
いつまでも

----
とある。

↓の歌の、2:00からのところ。2020・3・21現在の心情だ。

https://www.youtube.com/watch?v=dk0X4jl4VUo

ほんとに馬鹿だ。
関口くんも、
古尾谷さんも。
なんで死ぬのよ。
なんで自分で死ぬのよ。
あなたに生きててほしいと心から願っている人が
そばにいたのに。
あんなにいたのに。
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近藤ようこさんに会ったような気がする、姫野嘉兵衛(カオルコ)
近藤ようこさんに↓で、会った(お見かけした)ような気がする。
いっしょに展示物前を移動していったような気がする…。

明治文学の彩り展
https://www.bungakukan.or.jp/cat-exhibition/13436/

〜by 姫野嘉兵衛(カオルコ)
https://himenoshiki.com/
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#ツ、イ、ラ、ク、#登場人物の名前 −−続きはhttp://only5.himenoshiki.com/
『#青春とは、』に、#ミッシェル・ポルナレフ京都開館公演のチケットを代理で買ってくれたテラセ(呼び名)という男子が出てくる。
セイシという名前であった。
タ××チ×ヤくんが、
「セイシ(精子とかけて)くん、シキュウ(子宮とかけて)に来てください」
といういたづら校内放送をしていた。

『#青春とは、』は、内容がたのしいものなので、事実から拝借した部分が多いが、
『ツ、イ、ラ、ク』などは、中学校のシーンが大部分を占めているのに、
事実から拝借した部分はほとんどない。


島崎藤村の時代はどうなのかわからないが、
ほかの作家もそうだと思うが、
小説というのは事実は書かない。
事実をアレンジするのでもない。

私のようにスケールの小さい人間なりに
毎日を暮らしていて
暮らしているあいだにあった事実から
感情なり気持ちなり脳味噌なりがゆすられて、
それをずぶずぶと考えていて(考えてしまう人が小説家になるのであって
その日にあった事実を二時間後にはこだわらない人は小説家にならない)
考えているうちに、
景色が見えてくる。

と、そこに行くんである。
見えてきた景色に。

それを書くんである。


だから、
小説を書いていて、
知人や同級生がモデルになっていることはない。
でも、暮らしてきた中で頭に残っている、俳優とか近所の人とか同級生とか、
いろんな人をまぜて体系化して一人にするんである。

が、冒頭の通り、事実だと不特定多数の人にしれたところでさしさわりのないような『青春とは、』などは、
事実の部分が多い。


その反対が『ツ、イ、ラ、ク』だ。
『ツ、イ、ラ、ク』は、多くの章を、中学校時代が占めている。
長命中学の校舎などは、自分が通った中学の校舎が頭に浮かんでいる。
が、建物だって、自分が通った中学校舎そのものではない。
写真集で見た学校の校舎もまじっていたり、
映画で見た学校の校舎もまじっていたりする。

登場人物の名前。
名前は、『ダヴィンチ』のロングインタビューでも答えたが
学者の名前からとることが多い。

書いているすぐ横が本棚で、キーボードのすぐ横が辞書の棚なので
辞書を編纂した人の名前を使うことが多い。

名前を考えたりしていると、話の流れが中断されるので、
とりいそぎ拝借するんである。


『ツ、イ、ラ、ク』の美容院の名前が「アトリエ・ススム」なのは
同級生のワキ××くんの家が理容院だったのでススムになっている。
ワキ××くんの名前がススムだったからだ。

作中に神社が出てくるが、
この神社のシーンを書いているときは、
むら×みっちゃんの家のほうにまがっていく、
あさ×きんらんさんの家のある通りに行く手前にあった
あの、大きい神社。
あの神社が頭に浮かんでいたが、

それだって、べつに、自転車屋さんが近くにあったわけではないから、
やっぱり架空の神社である。


さて。
『変奏曲』に出てくる主要登場人物が、東京大学に通っている。
東京大学にしたのは、
「東京帝国大学」という文字を使いたかったからだ。
文中に「東京帝国大学」とあると、
時代が「むかしのこと」だとすぐわかるし、
「帝国」という漢字は、大正時代のムードを高めるからだ。

書いているときは、
高志は、アンソニー・パーキンスが頭にあった。
こんにち、多くの人は、アンソニー・パーキンス=サイコ ホラー役者と思っているので
ほんとに困るのであるが

私としてはアンソニー・パーキンスといえば『死んでもいい』なんである。
あと、邦題を忘れたが、サガンの、ブラームスはお好きの映画化の主人公。

それでだ。
帝国大学のある大正時代で
ステンドグラスで(なんか、大正時代のイメージ)
サイフォンコーヒーで
『死んでもいい』なアンソニー・パーキンス
(みんな、『死んでもいい』アンソニー・パーキンス、で画像検索して。足が長くて、白いシャツの下にシンプルな細身のパンツがほんとによく似合う))

あのころのアンソニー・パーキンスと
お姉さんは、ナスターシャ・キンスキー。
実年齢無視ね。

10代のトニパキと、ナタキン。

そのイメージで書いてたの!
私も20代だったし。

なのに!

『変奏曲』が出たあと、
「ぼくのことを、あんなに思っていてくれたのかと思うと
あなたの気持ちにもっと対峙しなくなはらないと思いました」
と、東京大学に通っている(足が長くない)男性から言われたときは、
腰が抜けた。
なんというポジティブ・シンキング!


text by 姫野嘉兵衛(カオルコ)
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フランス女優のようだ! こんなに美人だったのか!園長先生! −−続きはhttp://only5.himenoshiki.com/
幼稚園の時の写真が送られてきた。
びっくりした!
小学生のころから、
チ×ヤくんママ&薬屋ママが
美人なことは有名だったが、

園長の関が原先生(仮名)。
こんなに美人だったのか!
フランスの女優さんのようではないか!

なんという美人!
こんな美人が、あのダサい田舎町にいたのか。
旦那さんはどういう人だったんだ。
こんな美人を奥さんにして。
それとも独身だったのか。

幼稚園時代、
星組だった私は、
同じ組のみんなが
「月組になりたい」
「月組になりたい」
というのをよく聞いた。

私もそう思った。
フ××・たね先生。
それが星組の担任で、
やさしい先生で、なんにも悪いことなんかなかったんだけど

年寄りだった。
年寄りの先生を
幼稚園児というのは
残酷に嫌うものだ。
「たね」という名前も
おばあさんのようだと思われていた。
(といっても42歳だったから、国仲亮子や長谷川京子くらいなんだけどね)

だから
園長の関が原先生も
若くないというだけで
目に入っていなかったのだろう。

また、あのころの田舎町では
いや、今の田舎町でも
いや、今の都会でも

こういう美人には
おっさんは目を向けないだろうから
今だって気がつかれないかもしれない。

いやー、なんかい見ても目を見張る。
なんという美人ぶり。
このスーツを来た姿勢。
襟元の飾りもスタイリッシュでアーバンだ。
そのうえたたずまいがセクシーだ。
カトリーヌという名前のようだ。

ああ、粗い画像でしかお見せできないのが残念無念。
園児は顔隠して、園長先生は隠さないのは、故人からというのもあるが
あんまり粗い画像なので、隠したのも同じなので。


〜姫野嘉兵衛(カオルコ)