姫野カオルコ(嘉兵衛)のブログ…運営&宣伝=KOGA工房

★小説家。嘉兵衛は雅号。「嘉兵衛」で「かおるこ」と読む。
 
ちょっと前のもの
 
ポルナレフ三か国語 fm姫野

広島県の臼田さん、今はどうしておられるのでしょうか。臼田さんの筆蹟、私は今でも目に浮かぶなあ。さて、みなさん、ジュリーこと沢田研二が日本語で「忘れじのグローリア」を歌ったように、そのpolnareffがイタリア語で渚の想い出をうたっているんですよ。↓

https://www.youtube.com/watch?v=g0AOXqLSj74

ドイツ語でもうたっている↓

https://www.youtube.com/watch?v=tREgPVKr4OQ

スペイン語でもうたっている↓

https://www.youtube.com/watch?v=NPR-S2GDUW0
 アルゼンチン人歌手によるスペイン語版はこれだ↓
https://www.youtube.com/watch?v=4m4Nt6RfH5E

母国語による本人歌唱はこれだ(仏語・ポル歌唱)↓

https://www.youtube.com/watch?v=HkvK_4Oz3ow

 

イタリア語版、ドイツ語版、スペイン語版、1967年のころ、売り出し中だったpolnareffは、歌えと言われて、一生懸命歌って、でも本心ではやだなあだったんだろうか…とか、まだ20代前半のころの、polnareffにかぎらず、セーネン(青年)というものの、普遍の心理に思いをはせると、自らのその年齢のころ、あるいは自分が憎しみを抱いていただれかのその年齢のころ、などなど、さまざまなことに思いがいき、こうして、ポルナレポートは、いつまでたっても読み終えられなくなってしまうのです。

でも、なんだ、イタリア人やドイツ人やスペイン人には、ポルナレフの歌はどう響いたんだろう? ダニエル・ビダルがたどたどしい日本語で「町を、歩く、…オーシャンゼリゼー」「あ、透き通ってるう(歯磨き粉のCM)」歌ったり言ったりするのに、日本人は「かわいいー」と思ったんだけど、ドイツ人のフラウやスペインのセニョリータは  男のpolnareffのフランスなまりの発音を「かわいいー」と思ったんだろうか?? とくにイタリア語バージョンは、はじめ聞いたとき、「何語??」と(日本人で、かつイタリア語ができない私は)思ったんだけど、田丸公美子さんなんかだとどうなんだろう?それなのに声と息づかい(音への自分の声の乗せ方)だけは、実にpolnareffdなので、よけいに感極まる。

 

ワイルドワンズのヒット曲が日本人にはなじみがあったからつけた邦題なんだろう「渚の想い出」は、私にはポルナレフのひとつの代表的なイメージサウンドなんだけど、実は作曲も作詞もポルナレフ本人ではなくて、歌唱専念なんだよね。私はこれがけっこうショックだった。

↑2017・2/6ブログ再アップ、つづきまして翌日のブログも再アップ。田丸久美子さんからのレス↓

 

ポルのイタリア語歌唱を、ここはひとつイタリア語同時通訳の田丸公美子さんに聞いていただこうと…(あ、助詞「の」が「ノ」とカタカナになっているのは「ポルノ」で誤牽引アクセスがあるかもという魂胆です…)…。

※田丸公美子さんのご本も「目からハム」「シモネッタのデカメロン」など、とてもおもしろいので、あとでみなさん検索してお買い求めください。

●さて田丸公美子さんのコメントは↓

『ミシェル・ポルナレフ、なつかしい。じゃ〜遠慮なく末席(末尾?)を汚させていただきます。

イタリア語版、早速聞きました。フランス人にしてはまともな部類に入りますね。決して明確に発音しないので「発音の耐えられない軽さ」は気になりますが、、、、。

Rの発音はどうしても鼻に抜けている、でもこのR発音は北部のスノッブなイタリア人はわざとやるくらいなので許容範囲内。っていうか歌には情感がこもってるから「かわいい」わよ。

ただチョイ聞きするとイタリア語には聞こえないかも。
それよりおもしろいのが歌詞。〃毎回、君が欲しがるものは何でも持っていくよ、僕のちっちゃな愛の花 何年も何年も前から君のことを夢みてた。渚で君を待つよ、Un giorno si Un giorno no,、ある日は待つけど、ある日は待たない、、、ってなんなんだ?正直というか、正確というか。』

●そして田丸さんは、「イタリア人のラブレター」という小咄を紹介してくださいました。この歌を聞いて思い出した小咄だそうです。要約は姫野がいたします↓。

☆小咄「イタリア人のラブレター」

日本人なら、岩清水くん以外にはとてもできない熱烈なことが書きつらねてある。〃早乙女愛よ、きみのためなら死ねる、その火を飛び越えてこいと言われたら飛び越える、きみのためなら如何なる困難も困難ではない。愛してる愛している〃みたいなかんじに。

「地球より大きな愛をこめて ジュリアーノより」などとサインも熱烈。そしてオチ。最後に「明日、雨が降らなかったら会いに行きます」と書き添えてあるというイタリア人のラブレター(爆)。

 

●バブルさん、天地真理が「愛と青春のトルバドール」アルバムを持っている写真、ありがとうございました。田丸さんにも送っておきます。

↑2017・2・7ブログ再アップ

 

綿谷りさと角田光代ですか?/出雲市 K.I さんからの質問に答えて

【(Q)  『桃、もうひとつのツ、イ、ラ、ク』の解説にある「20代の女性作家」というのは綿谷りさで、「40代の女性作家」というのは角田光代ですか?】 ←出雲市 K.I 様 からのお問い合わせ

(A)回答 by 姫野カオルコ

ちがいます。
解説を書いてくださったのは小早川正人さんです。
初稿では名前が明記してありました。初稿を私も見ておりますので、ちがいます、とはっきりお答えできます。

ということで、K.I さんへの回答はここまでとして……。実は私はこの御質問にすごくびっくりしたのです。「ええっ、どっからこのお二人の名前が?!」と。
初稿では名前を明記していた小早川さんが、明記をやめて、「20代の作家」「40代の作家」としたのは、「わざわざ明記しなくてもだれにでもわかるだろうから、へんなふうに固有名詞にひっかからせないほうがよい」という判断からでした。
つまり、解説者も著者も、それくらいだれにでもわかるものだと思っていたで……。

『ツ、イ、ラ、ク』が出たのは2003年11月です。2003年11月時点で、綿谷さんは10代で角田さんは30代です。解説にある2作品はどちらも映画化されました。「原作も映画も全女性が泣く」作品です(泣くとされています)。すみません。私自身は両方とも未読で、映画も見ていません。

『ツ、イ、ラ、ク』は「笑える恋愛小説」です……というのは語弊があるでしょうか。では、「恋愛小説が苦手な人のための恋愛小説」と言えると思います。

解説にある二作は『ツ、イ、ラ、ク』と正反対の作風として、「恋愛小説が好きな人のための恋愛小説」例に出されたのだと思います。

ただ姫野カオルコという作家がとにかく大嫌いだという人の数も多いので、そういう人は笑える恋愛小説だろうが恋愛小説が苦手な人のための恋愛小説だろうが、名前もいや、顔もいや、ぜんぶいやだと思います。なにかを好きだとか嫌いだとかいうのは、結局そういうことであり、そうした理屈ではない感情のひとつが恋愛でしょう。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4041835151.html

(2010・7・10・掲載記事再アップ)

清野とおる、笑いすぎておなかいたい fm姫野

先週のことだが、モーニング連載の、おこだわり、清野とおるを、夜に読んで、笑いすぎておなかいたかった。ラーメン屋に出没する、おこだわりな人の紹介。

福満しげゆきもそうですが、清野とおるも、言ってる(紹介している)「内容」がおかしいんじゃなくて※、「話ぶり」がおかしいので、こういうことができるのは天性の才。

※ん、まあ、おかしいんだけどね。カレーをモーゼの海割りみたい食べる女の人とか。この方法、いいな、今度、私もこの方法でやってみようと思ってしまった。

大島弓子といえば、みのり/姫野カオルコ(姫野嘉兵衛)

大島弓子のファンは多い。しかし、(1)デビュー作からリアルタイムで読んでいる人 (2)パソコンを日常的に使う の(1)と(2)の両方に該当する人となると、ものすごく数が限られてくる。大島弓子の「その日まで生きたい」がマーガレットに連載したのは1970年、71年かそこらである。主人公はみのり……★★注/公開期間超過につき以下削除。現在は講談社文庫『ああ、懐かしの少女漫画』(姫野カオルコ著)に全文収録。
http://www.yomiuri.co.jp/book/bunko/20111114-OYT8T00397.htm

 

エッセイおすすめ、ベストエッセイ2017、光村図書刊(姫野カオルコ収録)発売 fm koga工房

公式サイト「最近況」更新されています KOGA工房

http://himenoshiki.com/himefile/info.htm

Michel polnereff, happy birthday fm himeno in Japan

Dear Minchel Polnareff , happy birthday to you . hope you have a blast!  always , any time , wish your  happiness.

3th July 2017 ,from Japan

http://himenoshiki.com/english/sheis.htm

ドロンジョ様はドモンジョには全然似てないよね、「悲しみよこんにちは」、だし fm姫野

●ヤッターマンをリアルタイムで見てた人も、再放送でしか知らない人も、ドロンジョ様の由来の、フランス女優、ミレーヌ・ドモンジョをリアルタイムで体感している人はいないと思う。いっぽうドモンジョ体感している世代の人は、ヤッターマンをリアルタイムで体感してないだろう。ミレーヌ・ドモンジョを知らない人が、「ミレーヌ・ドモンジョがドロンジョ様の由来? どれどれ?」と画像検索してもあまり意味はない。出てくるミレーヌ・ドモンジョの画像では、ドモンジョの雰囲気はよくつたわらない。出演している映画を見れば、ドロンジョ様のキャラとはぜんぜん違う。反対のタイプとさえいえる。

●ドロンジョ様は、S女をコミカルにした(カリカチュア化した)キャラだ。一方、ミレーヌ・ドモンジョは、フランソワーズ・サガン「悲しみよ、こんにちは」の映画化で、主役の少女が「あの人はいや」と思うデボラ・カーが父親と恋仲になる前に、ガールフレンドだった女き役をしていたのがとても似合っているような人である。主役の、とぎすまされたブンガク少女が、許容していた父のガールフレンドの役をやって似合うような人である。だから当時の日本のブルーカラーに人気があった。つまり、乱暴にひとことでいうと、自称が「あたい」の人。ドロンジョ様は「あたくし」の人の戯画化だから、反対のタイプじゃないですか?

●叶順子は、その点、ほんとに和製ミレーヌ・ドモンジョだったよ。アラン・ドロンと共演した「お嬢さん、お手やわらかに」を日本映画でリメイクしたら、3人娘の一人にはぜったい出演してほしいタイプ。ミレーヌ・ドモンジョは日本でとても人気があったけど、でも、それ以上に、日本人男性が好きなのは、ジャクリーヌ・ササールなのである。和製ジャクリーヌ・ササールは、内藤洋子ね。でも、内藤洋子の娘さんが、まさかDNAの一致しない息子を、ジャニーズ出身のなんとかさんにポイ投げして、どっかいっちゃうような女に成長するとはのう。

Profile

姫野カオルコ(姫野嘉兵衛)=作家。心理小説。連絡先は公式サイトの「連絡先」から。http://himenoshiki.com/

 

15才の女子中学生を調教したというかんじではないだろう fm姫野

●15歳でカフェで働いていたナオミを家に連れて帰って理想の女にしたてようとした、というのは、21世紀には、中3か早生まれの高1の生徒を家に連れて帰ったみたいにミスリードする人もいるかもしれないが、これはちがうよ。

●関東大震災前後の時代(大正末期〜昭和初期)の学制では、「ふつうの人」は12歳で「学校」というところは卒業して、社会に出て「労働」した。貧乏な家の子だと、12歳まで学校に通う余裕はなく、7歳とか8歳で、商店の下働き(掃除)や女中(子守洗濯)をする子がザラだった(浪花千栄子の自伝に、このへんの風俗がリアルに記録されていておもしろい)。

●まあまあ余裕のある家の子だと義務学校を出て、上の学校に進んだ。女の子は「女学校」へ進学するのだけど、ここだって卒業するまで14歳くらいで縁談がまとまってしまい、退学して花嫁修行を1年ほどして、結婚式をあげる。外見がブスだとなかなか縁談がまとまらないから、卒業まで学校に通うしかない。そういうブスな女の子は婉曲に「卒業顔」と言われた。

●私の実父は大正5年生まれで、私との年齢差は祖父に近かったため、親密に話をすることはなかったが、彼がだれか他人に話しているのを漏れ聞いていると、彼が10歳ごろ(大正末期)は、子供というのは4歳とか5歳とか8歳とかのことで、10歳を越すともう「労働力」の見習い、12歳を過ぎたら働いていた…というものだった。童謡「赤とんぽ」(夕焼け小焼けの赤とんぼ〜、)にも、「15でねえやは嫁に行き〜」とある。そんなもんだった。

●なので、大谷崎の感覚というか、原作を読む感覚として、ナオミは、たんに「若い女」なのであって、べつに女子中学生や女子高校生を家に連れてきて監禁してるのではない。そういうふうに読みたい趣味の人が、自分の趣味にアレンジして読もうっと、と思って読むのはいたって自由だが。(ボーイズラブものの、♂と♂のセックスシーンを、どっちかを自分(あるいは♀)だと思ってアレンジしてたのしんじゃおうっと、と思って読む人がいてもぜんぜんかまわないのと同じで)。

でも、ボーイズラブもののセックスシーンは、設定としては♂と♂なように、「痴人の愛」のナオミの年齢を現代の感覚で換算すれば「高校を卒業したばかりの18歳で、お酒も出すような店で働いていた」である。

●穣治さんがナオミをいたく気に入ったのは、女子中学生だったからではない。「若い女」であることは「前提」であって、「若い女しか商品価値はない」というのは、現代でも「前提」であって、ナオミの年齢が若いのはあたりまえで、この穣治さんがナオミをいたく気に入ったのは、彼女の外見が「ハーフっぽかった」からである。

●谷崎先生の「好きな女性のタイプ」は、ありていに言えば、ボンキュッボンのグラマータイプ、ですので、カフェーで働いていたときは、むしろまだ年齢的には瘦せていてものたりず、「お菓子の家(グリム童話)」のヘンゼルに栄養のある食事をさせて肉付きをよくさせようとしたように、自分ちでいいものを食べさせて、おっぱいやおしりをもっと大きくさせようと、穣治さんに自分の好みを託したのである。

●「おれは、そんなグラマーなのはおばさんぽくてイヤだ」という趣味の人も大勢おられましょうし、私なども少女が大好きなので、白夜行のころの福田麻由子ちゃんとかテイジンのカトリーヌちゃんの10歳のころや、みつばちのささやきの子や、ゴールデンカムイのアシリバさんや、それに、発明コンテストで優勝した12歳のあの女の子がかわいくてかわいくて、それこそ持って帰りたいくらいなのですが、それはそういう趣味としておいといて、「痴人の愛」を映画化するにあたっては、原作を尊重しようというのなら、ナオミは、ロリロリしてたら谷崎先生、怒ると思うんですよ。

ドロンジョ様の由来、痴人の愛、映画、'48 '60 '67 '80 年代版見比べ fm姫野 

●大谷崎の『痴人の愛』は、これまで4作品の映画がある。1948、60、67、80の4版。80年版は公開時に見た。60年版だけ、長く見られなかったが、角川書店が(KADOKAWA が)大映を買ってくれたので、めでたく見られることになった。角川シネマ新宿で、「おとな大映祭」を開催中。4つの中で、

・映画作品としての出来が1番は67年版(安田道代、小沢昭一)、

・原作とちがう1番は48年版(京マチ子、宇野重吉)、

・愉快1番は60年番(叶順子、船越)、

・公の場ではノーコメントにしておきましょう1番は80年(だれがやったかもおぼえてない)。

●昨日はやっと叶版が見られてうれしかった。オープニングはいきなり1960年の熱海の風景。もうこれだけで「停止」押して5分くらい眺めていたいところだったが、映画館なのでそうもいかず。

ミレーヌ・ドモンジョが、日本でものすごく人気があったころだったんだろうな。それでたしか来日もしたんだよね。「ヤッターマン」のドロンジョ様は、ミレーヌ・ドモンジョからきてるの、知らない人も多いんじゃないかな。ただ、さすがに、私もドモンジョ人気の頃の日本風俗を体感的には知りませんよ。中学生のころ、夏休みの廃品回収で仕入れた、私が中学生当時で「ずいぶん古い」ものとなっていた、『映画の友(淀川長治編集長時代)』を2冊、くいいるように読んで仕入れた知識。

●映画の中で、穣治さんとナオミが、鎌倉にバカンスに行く。するとアメリカ人が、水着姿のナオミを見て「ひゅうっ」口笛吹く。「Oh, she is like Demongeot 」ヤンキーAが隣のヤンキーBに言って、ナオミに「Hey. Domongeot」声かけて、笑えるぞ。ヤンキーはフランスの女優なんか知らないってww。

日本のミレーヌ・ドモンジョ、として大映が叶順子を売り出そうとしていたんだろうが、ライトで目を悪くして、4年くらいで芸能界を引退されてしまいました。残念。

●さて、私の見間違いか?

モーターボートかなにかにナオミが乗るショットが一瞬だけ映って、ナオミの隣にいるのが藤巻潤か倉石功に見えたんだが。ネット検索でキャスト一覧を見ると藤巻潤の名前は出てない。セリフもなにもないワンショットだけだったから、出さなかったのか。私の見間違い?あれ藤巻潤(か倉石功)じゃなかった?「やっちゃ場の女」で使わなかったとこをぴゅっと入れたとか?

ジョージ秋山とお松の比較、 fm姫野

さる歴史小説の漫画化について、クレームはまったくないのですが、歴史小説なのだしこの画風でいいと思うのですが、ただ、いかんせん女性が色っぽくなく、どうもその、新米力士に見えるんだが…(;-_-A

着物越しの女体というのは色っぽく描くのには相当技術が必要で、これはできる人のほうが少ない。そう思うとジョージ秋山の女性の着物姿の描線はすばらしくなまめかしい。モノクロなのに肌が白く、くちびるが赤い感覚まで描線で出している。ジョージ先生はパットマンxでも艶っぽかったが、あの描線は天性のものなのか…。で、いっぽう、この歴史漫画の(別の作者の)今週号は、お松さんが泣くんですが、涙の線がごつくて、まるで、ごまあぶら、がしたたっているように見えてしまうのは私だけだろうか…。自分がごつい体だけに、気になる…。これからも愛読します。