姫野カオルコ(嘉兵衛)のブログ…運営&宣伝=KOGA工房

★小説家。嘉兵衛は雅号。「嘉兵衛」で「かおるこ」と読む。
 
ちょっと前のもの
 
ジョージ秋山とお松の比較、 fm姫野

さる歴史小説の漫画化について、クレームはまったくないのですが、歴史小説なのだしこの画風でいいと思うのですが、ただ、いかんせん女性が色っぽくなく、どうもその、新米力士に見えるんだが…(;-_-A

着物越しの女体というのは色っぽく描くのには相当技術が必要で、これはできる人のほうが少ない。そう思うとジョージ秋山の女性の着物姿の描線はすばらしくなまめかしい。モノクロなのに肌が白く、くちびるが赤い感覚まで描線で出している。ジョージ先生はパットマンxでも艶っぽかったが、あの描線は天性のものなのか…。で、いっぽう、この歴史漫画の(別の作者の)今週号は、お松さんが泣くんですが、涙の線がごつくて、まるで、ごまあぶら、がしたたっているように見えてしまうのは私だけだろうか…。自分がごつい体だけに、気になる…。これからも愛読します。

高橋一生、人気の理由は fm姫野

人気の理由は女性の嗜虐心をそそるため(推測)。造形としては岸部一徳にそっくりだが(私など二世タレントだと信じて疑わなかった)、雰囲気は全然にてない。雰囲気は、3−7のコスギくんに似てる。が、そんなこと言っても3−7の人にしかわからない。高橋一生の人気の理由を、コスギくんも持っていたので、なのでエキスポランドで荷物持ちをさせられたのだろう。

 

姫野カオルコ =姫野嘉兵衛。作家。非大衆的な作風だが独特の筆致で男女問わぬ読者。『昭和の犬』で第150回直木賞受賞。映画についてのエッセイ『ほんとに〃いい〃と思ってる?』もある。https://www.amazon.co.jp/dp/B00I0LKUU6/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

絡先は公式サイトhttp://himenoshiki.com/の《連絡方法》から。

谷隼人、ユミちゃん(大川栄子)、蝋人形館 fm姫野

昨日のトークショーに行かれた方、谷隼人さんはいかがでしたか。谷隼人といえばユミちゃんとコンビをくんでました。あのころ、ほんとにキーハンターはかっこよかった!ユミちゃん(大川栄子)が、あおによしの「えいぼん」役の河原崎建三さんと結婚するとはなあ。あのとき「えいぼん」の奥さん役をしてた人の旦那さん(俳優の、えーと、えーと、ああ、もうトシで名前が出てこない)が、入院したんですよ。そこにお見舞いにいったというA子さんという人がいた。そのA子さんと、「あおによし」を見ていた中学生のころから大学生になって知り合うとはなあ。なんというか、人生の妙を感じます。(プライバシー保護により、歯に衣着せた表現ですみません。衣着せない表現は3−7のみなさんにだけお教えします…)

異常性愛ハレンチ、塚本監督トークショー、行ける人は見に行ってください fm姫野カオルコ(姫野嘉兵衛)

●「異常性愛ハレンチ」石井輝男監督(1969年・東映)、澁谷のシネマヴェーラで、6月14日(水曜)と、16日(金曜)にやりますから、行ける人はぜひ見に行かれるとよいと思います。上映時間は「シネマヴェーラ」のHPで確認↓してください。14日は塚本晋也監督とリリー・フランキーさんのトークショーもあります。

http://www.cinemavera.com/schedule.php

●「幻の湖(橋本忍)」はケッ作である。見た人ならお分かりと思いますが、あんなふうな映画にしようと思ってたわけじゃなかろうに、あんなふうになってしまって、でも結果的にはケッ作。反して、「異常性愛ハレンチ」は鬼作である。笑えるシーンは多々あるのだが、同時にすごく怖い。主人公の男が。むしろ現代に見たほうが怖いのではないか。若杉英二の怪演は、鬼気迫る。ものすごくリアルで怖い。

●お若い方のために公開当時の風俗を紹介しておくと、主人公の男が「愛してるんだよ〜ん」と何度も言うが、これは当時「だよ〜ん」というのが流行ったのである(参考・赤塚不二夫)。青江ママ(新宿ゲイバーのママ)も、当時はよくTVに出ていた。

この映画の公開されたころ、TVの「ザ・ガードマン」がハレンチ化して、PTAとかから「子供に見せたくない番組」にされていた。そのころの「ザ・ガードマン」に、「異常性愛ハレンチ」にすごくタッチの似た回があった。「ザ・ガードマン」は傑作選がDVD化されていて、私はこの回をもういちど見たいのだが、タイトルがわからない。ジョージ秋山(だったと思う)の漫画のコマが何度も画面に出てくる。「いやよ、ジョー、なにをするの」という作中漫画の女のセリフを、その回の主人公の男が何度も棒読みでつぶやく。この回のタイトルはなんだったか。知りたいために、年代から「このへんでは?」と思って「ザ・ガードマン」を見るのだが、ない。DVD化に洩れた(フィルムが残ってなくて)のか?

話がそれた。「ザ・ガードマン」はおいといて、まあ、時間の都合がつく人は、澁谷に行きましょう。

●むかしはどこの映画会社も、東京と京都に撮影所を持ってたから、これは京都で撮ったのかなあ。琵琶湖大橋ができてまだそんなにたってないころで、琵琶湖大橋を画面に入れたかったんだろうな。主演の立花ますみはじめ、女優さんたちは京都弁でしゃべっている。大坂出身でも、京都弁指導がついたのか、大阪弁ではない。あ、「吸血ゴケミドロ」に出てた人は大阪弁だったかな。

壁にかける、腕時計を巨大に拡大した時計。主役はじめ女優さんたちが着ているミニのワンピース。サイケな網の影になる照明。丸いクッション。洋酒を高価なものとして部屋の飾りにするインテリアのセンス。ベッドのそばにある、和風のタンス(上部にガラスのケースがついていてコケシを飾る)。1969年、ボディペインティングが流行ったころ、由紀さおりの「夜明けのスキャット」や「真夜中のギター」「フランシーヌの場合」、週刊マーガレットでは「ガラスの城(わたなべまさこ)」「お金ためます(忠津陽子)」「奥様は18才(本村三四子)」が人気ばつぐんだったころ。ではぜひ「異常性愛 ハレンチ」を御覧ください。

 

 

 

アンソロジー新刊出ます

アンソロジー新刊文庫出ます。詳しくは「公式サイト」の「最近況」。

更新されています。

http://himenoshiki.com/himefile/info.htm

「罪の声」で思い出したこと、fm姫野カオルコ

キツネタヌキキツネ目男

左から順に、キツネ→タヌキ→キツネ目の男

みんな「キツネ目」というと「キツネ目の男」のような吊り目をイメージしてるけどほんとは、キツネより、どっちかというとタヌキのほうが吊り目だよね。どっちもイヌ科だから、くりくりしてる。だから、グリコ森永事件の容疑者の一人らしき顔写真は、正確には「キツネ目」じゃないよね。

profile 姫野カオルコ =姫野嘉兵衛。作家。非大衆的な作風だが独特の筆致で男女問わぬ読者。犬観察小説『近所の犬』がある。https://www.amazon.co.jp/dp/B00O9KZCN2/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

連絡は公式サイトからhttp://himenoshiki.com/

優木まおみのバーキンバッグへの批判が殺到しているそうだが、そんなことより、fm姫野カオルコ(姫野嘉兵衛)

優木まおみのバーキンバック事件?批判殺到のニュースですが↓

https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12144-297641/

私はこんなことより、バーキンバッグに憧れるという気持ちがわからん。ウインドウに飾ってあったり写真見ただけで「使いにくい!」と思うんですけど…。使いにくいという批判がエルメスに殺到するべきだと思うが??

それでも「気分で持ちたいのよ」と憧れるのなら、先に「ガラスの墓標」を見てほしいです。小6のとき、公開からだいぶたってから田舎の町の映画館に来て、すみ×きみよちゃんと見に行って、よくわからなかったのも今ではなつかしい。

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%A2%93%E6%A8%99-DVD-%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%AB/dp/B0000844EF

辰濃和男、解説、記憶という名の鉱脈、

【辰濃和男】(たつの・かずお)
1930年東京生れ。東京商科大学(現・一ツ橋大学)卒。朝日新聞社入社。ニューヨーク特派員、社会部次長、編集医院、論説委員、編集局顧問を歴任し、「天声人語」を担当。九三年退社。現在はフリージャーナリスト。
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《「記憶」という名の鉱脈》

『特急こだま東海道線を走る』というタイトルで、ハードカバー刊行のさい、深夜、残り少ないページを惜しみながら読み続けた記憶がある。
姫野カオルコは、自分のこころにうねうねと横たわっている「鉱 脈」を探しあてた、という思いもあった。それは「記憶」という名の鉱脈だ。
 
四、五歳のころの記憶が皆無にひとしい私からみれば、「二、三歳のときに住んでいた家の便所の戸のペンキの色や塗り方のムラや把手のかたちをはっきりおぼえています」という姫野の記憶力は、とても人間業とは思えない。

「記憶というのはやっかいなもので、たとえたのしい記憶であっても、あまりに明瞭だと、現在の自分の足元をすくわれます」ということばはだから、私にはよくわからない。そんなものかなと想像し、想像しながらやはり感嘆する。
 
ただ「鉱脈」を探しあてただけでは作品は生れない。内部のたくさんの格闘があって、鉱石は磨かれていったのだろう。どこまでが実際の記憶で、どこからが創作であるのか、そんなことを問うのがヤボなくらい、虚実は渾然一体となっている。

 眠る前のひととき、この本のお世話になる日々がかなり長く続いた。何回も繰り返して読みながら、天賦の才を実感した。
 
今夜は「米屋の赤川さん」が太い指でオモチャの特急こだまを動かす情景に出会いたいとか、今夜は福井の海辺の宿の少年に会いたいとか、今夜はじみさんの経営するレストランの「ありそうでいてなかなかめぐりあわない、どこかやぼったさのある家庭的な味のハンバーグ」にありつこうとか、そんなことを勝手に思って読み、読んでいるうちにやすらかな気持ちになって眠りについた。
 
姫野の記憶がそのままこちらの体験になってゆく錯覚を味わい、さらには、自分のなかの記憶の埋火(うずみび)が突然、赤々とした炭火になる感覚を味わうこともあった。
 
米屋の赤川さんも、海辺の少年も、じみさんの店も、たまらなくこころに響く。なつかしい。それは、六〇年代(昭和四十年代)がにおってくる細密描写のおかげである。細密描写を成り立たせるふしぎな記憶の断片、それをつなぎあわせる丹念な構築力のおかげである。
 
本書には五つの作品が収められている。
・哲子(哲っちゃん)
・佐紀(サーちゃん)
・高橋(タカちゃん)
・正親(おおぎ)
・まり子(まり子ちゃん)
 の五人がそれぞれの作品の主人公だ。みな滋賀県に故郷をもつ女性で、一九五八年(昭和三三年)ごろに生れている。いまは東京に独り暮し、働いている。
 
主人公たちはみな、六〇年代(昭和四十年代)に幼少期を過ごし、東京五輪、新幹線誕生以降の日本が繁栄への飛翔をはじめた時代の経験を共有している。本書は「あのころ」へさかのぼってゆく旅である。ここには、あのころを生き抜いた市井の人たちへの惜別の辞がある。少女の野性が鋭く感じとった世界がある。人の温暖さ(ぬくとさ)や清らかさへの共感があり、人を傷つけるものへの強い怒りがある。

 真夏の海辺で哲子は烏賊漁の船に乗せてもらい烏賊の墨を浴びる。夜明けの浜では宿のお兄ちゃん(少年)が叫んでいる。
「いやあっ、みあああっ」
 烏賊、見たあ、と叫んでいるのだ。
 なんでもない光景だが、ここの描写は心に残る。海の宿の「温暖とさ」を吸い取ろうとして、幼い哲子の記憶の海綿体は異常な吸引力を発揮している。
 
高柳さんのおじさん、おばさんもいい。佐紀は、事情があって預けられた高柳さんの家の「がさがさ」した感じが好きだった。「おばさんもおじさんが好きだったのだろう。彼らは動けば汗の出る男と女で、彼らの家には私の家にはない、だらしない温暖とさがあった」
 日本は、「だらしなさ」を次々にふるいおとし、そのために人びとを息苦しくさせてしまう歴史をたどってきた。
 
そして「特急こだま東海道線を走る」にでてくる赤川さんの存在感。まっとうに仕事をしているおっさんを寸描するとき、姫野の筆は躍る。ほとばしる、という感じになる。幼いまり子はいつも赤川さんが来るのをこころ待ちにしていた。一家が広い家に引っ越したあと、赤川さんはお祝いの米袋をもってきて玄関の前に立つ。

「自分の身長の半分以上もある大きな重たそうな米袋を、躯(からだ)の正面で抱きかかえ、丸い赤い顔をして、えへ、と笑っていた。クリームパンのような手が米袋をしっかり支えていた。チャイムも鳴らさず、そうして立っていたのだ」
 ただ立っているだけの玄関口の赤川さんを見て、まり子は泣く。四歳十カ月の幼女はそのときなぜ泣いたのか。
 高度成長という化け物が「温暖とさ」を奪いとり、壊していった時代の流れを作者は見つめる。

 本書にはカギになることばがたくさんある。むりに二つにしぼれば一つは「温暖とさ」であり、もうひとつは「清らかさ(純潔)」である。後者の代表例が第三話「みずうみのほとり」だ。二十五歳の女性、まきちゃんはうつし絵のシールが好きでせっせとシールをしている。小学三年生の主人公も、まきちゃんにシールをしてもらう。
「『この人、好き?』
 私の腕で、小首をかしげているちょうちん袖の女の子を、まきちゃんが指さして訊いた。私はだまったまま、ただ何度も何度も首を縦にふった。重たそうなレジスター機の、うす茶色の金属に午後の光が撥ね、まきちゃんは笑った」
 この本のなかでもっとも透明感のある、美しい情景だ。
 シールに夢中のまきちゃんの姿を見て、小学生の主人公が息をつまらせる。なぜか。結末で明かされる。

 温暖とさとか、清らかさとか、そういったものを書くのはそう易しいことではない。ともすれば文章が湿っぽくなってしまう。
 だが、この本のなかでの赤川さんにせよ、高柳さん夫妻にせよ、シールのまきちゃんにせよ、そこにいるのは等身大の人間だ。作者の記憶のなかの鉱脈はいまも熱く燃えているのだろうが、文章に刻まれる人間はむしろ、ごくあっさりと、乾いた筆で描かれている。だからこそ、実在感があるのだろう。

深夜、眠りにつく前にこの本をよく手にするのは、六〇年代(昭和四十年代)を生きていた人びとの情けの世界に触れたいという願望が私にあるからだろう。作者の記憶の鉱脈を触媒にして、自分もまた六〇年代、いやさらに昔の時代に戻りたい、人と人をつないでいる温暖とさや、よけいなものを持たない人の清らかさに出会いたい、そういう願いがあるからだろう。時代が捨て去りつつあるものにこそ大切にしたい宝物があるのだ、ということを作者はごくひかえめに描いている。

 この本の幼い主人公は、ときどき「ちがうもん」と異議申し立てをしている。ちがうもんと思う。が、四歳にもならぬ子は、ことばでは説明できない。「子どもはみな甘いものが好きとは限らない」といいたいところだが、ことばにならない。「派手なシャツを着て、黒ぶちの眼鏡をかけた男」がいればただただ恐ろしい。
 
長じてからの主人公も、異議のある暮らしのなかにいる。この、異議のある暮らしというのは姫野カオルコという作家のよりどころ、であるのかもしれない。姫野の分身達は、自分自身の好き嫌いに忠実に生きている。いさぎよういといったらいいのか。嫌いなものは嫌いといい、自分を曲げない。だれにも媚びず、自分の力で立っている。そういう自由な生き方をしている。
 
どのページを切り取っても、そこには姫野の姿があり、姫野の文章がある。
 まがいもののはやる世の中では、それは希有のことのように思える。

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(『ちがうもん』(文春文庫・姫野カオルコ著)解説抄(転載)現在はキンドルか電子書籍版/紙媒体なら『純喫茶』(PHP文庫)で買える

https://www.amazon.co.jp/%E7%B4%94%E5%96%AB%E8%8C%B6-PHP%E6%96%87%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A7%AB%E9%87%8E-%E3%82%AB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B3/dp/4569765211                         

ノルウェイの森、レビュー、Amazonのレビューはこうしたほうが、尚子の手洗い問題 fm姫野

昨日とおとといと、Yahoo!知恵袋への質問と回答を1例として、「不特定多数の人が見る場所に文章を公開する」ことについて、いろいろと考え深くなったのだった。

雑誌に寄稿するだとか書籍として出版するだとかするときは、最初の原稿を見直し、見直してから推敲し、それを編集者が読み、意見を言い、それを聞いて書き直し、見直し、推敲し、また編集者が読み、合格したら印刷所にまわしてゲラになり、ゲラを、今度は校正者がチェックし、それが自分にもどってきて、校正者の赤の入ったところを見直し、推敲し……とやっていって、本格的に印刷されて雑誌に掲載されたり本になったりする。

けれどネット投稿の場合、極端なはなし、ねぼけてたりよっぱらってたりする頭で書いたものが、そのままパッと、衆目にさらされるわけで、考えてみたら、すごく怖いことだ。

そこで「みんながだれでも投稿できる」の代表的な例としてAmazonレビューを見てみよう、売れた本について見てみようと、「ノルウェイの森」レビューを見てみた。どのレビューが、よっぱらってたりねぼけたりして投稿したときの文章だろうと、例にあげようとしたのである。でも、たくさんある。目がチカチカしてきた。調査代金をもらえるわけでもないのに、という気になり、高校生とか中学生のときなら、そんなこともおもしろかったのかもしれないが、この年になると、同じ調査をするなら、「尿素窒素の値を下げるには」とか「腎臓機能を改善する食生活」などを調査することのほうに、がぜん意欲が湧くので、「ノルウェイの森のレビュー調査」は、さっさとやめてしまいました。

ただ、この本が話題だったころに、私がviews誌に寄せた、あの問題についてふれてあるレビューはあるでしょうか。「ノルウェイの森、尚子の手洗い問題」です。私と同じことを指摘しているレビューがあったらお教えください。

 

Amazonはこうしたほうが、と思いついたアイデアがあったのですが、長くなったので、またこんど。

中2病でも恋がしたい、日野町鎌掛小学校って、たけむらさんの…

くどいようですが、うちはテレビがないんで知らなかったんですが、「中2病でも恋がしたい」というドラマがあったんでしょうか。

http://shungiku-y.jugem.jp/?eid=155

そのドラマとまったく関係なく、たけむらさんのこと気になって、なんかなつかしくて、ほんっとに会いたくて、いまなら、大人どうしで、もっとうちとけられるのにって、地図でみてたら↑の方のブログに出てしまったんですけどね…。たけむらさん、きっとこの小学校に通ったと思うんだよね…。小学校からいっしょだったって人、3−7にもいなかったよね?(fm姫野)