姫野カオルコ周辺ブログ…運営&宣伝=KOGA工房

★小説家。嘉兵衛は雅号。「嘉兵衛」で「かおるこ」と読む。
 
ちょっと前のもの
 
by姫野) 桃井かおりが以前、ある俳優と共演すると蕁麻疹が出ると--続きはhttp://only5.himenoshiki.com/

蕁麻疹が出た。
Aさん(編集者)の顔を思い出したら。
むかし、桃井かおりがインタビューで「かおりはね、××さんが大嫌いで、共演するとぜったい蕁麻疹が出るの」と言っているのを読んだことがあり、そんなことがあるのか、と思っていたが、ほんとにこんなことがあるのだった。

Aさんには、これまでの15年間で6回、手紙を書いた。
Aさんと会ったあと、わけのわからない気分の暗さに陥ったからである。
15年間で10回ほど会ったから、Aさんと会うとその半分は、こういう気分になってきたことになるが、会うとこういう気分になるようになったのは2000年以降である。

ということは2000年以降は、Aさんと会うたびに「いやな気分になる」という状態になっている。
ところが、Aさんの会社の人に聞くと、「いつにもましてごきげんでしたよ」と言う。
短小で早漏の男が、拙い技術のセックスをして、3往復くらいで射精して、そのあと「どうだい、よかっただろ」と自信満々で悦にいっている状態が、よく「いやな男」として漫画に描かれているが、この漫画そっくりなのが、、Aさんと会ったときの気分である。

Aさんの顔はあぶらっぽいので(彼と向き合うときにはサングラスが必要なほどギガーッと光っていて、よーじ屋のあぶらとり紙など1ダースが5分でなくなるくらい)、よけいに自信満々に悦に行っている図、というかんじになる。

Aさんと会うと、それは会食ではなく、Aさんがぐびぐび酒を飲んでものを食べて、べらべらべらべらべらべらべらしゃべってオワリの席となる。
メニューは自分ひとりだけで見て、同席者になにがいいかを訊きもしない。すべて自分が好きなものだけを選んで、同席者にとりわけさせて、自分で食べて、ひとりだけでワインを飲む。(ほかの人は酒を飲んでいなくても)

べらべらべらべら一人でしゃべっても、まだその話が、ちゃんと話になっていれば、(たとえ、おもしろくなくても)、まだ、「ふうん」と聞けるが、Aさんの話は、すべてがパッチワークで、どういう話なのか、話になっておらず、パッ、パッと、頭の記憶の断片を怒鳴っているだけなので、まったくわけがわからない。
「しーなさんの、ポルトガルのダンス。こないだすごく羊の大きいのがいて。アルゼンチンタンゴをやってる60歳くらいのおばあさんがいる。熱くて最近、寝つけないよね。だから車に乗るときは、もう売ろうかと思ってるんだよ。赤ん坊が煙草を吸ってるニュースを見た」
こういう具合である。
(は?????)
聞いているほうは、まったくわからない。

そこで、ひとしきり待って、ほかの人に話を向けようとして、なにかひとつAさんのことばからとっかかりを見つけ、
「××さんは、ポルトガルに旅行されたことがあるんですか?」
と聞く。(××さんにふる)

と、もう、ここで、Aさんが話を遮断して、
「おれはさ、飛行機に乗るならどうのうこうのああのこうの、ベーラベラベラベーラベラベラ」
またAさんが大きな声で、自分の記憶の「断片」を出す。
(なんのこと???)
話にまとまりがまったくないので、聞いているほうは、意味がまったくわからない。

こんなことが、もう何年もつづいている。
会うたびにこうである。

私は次の作品の話をじっくりしたいし、次の作品の話でなければ、創作において迷っていること、悩んでいることなど、編集者とは「話をしたい」と思っている。編集者が酒を飲んでべーらべらべらとしゃべるのをながめているのではなく。

まったく自分が話のできなかった会食のあと、思い悩んで、手紙を書くわけである。
こういうことが打ち合わせしたかったのだと。

しかし、こんなことが6月8日にも、またあって、7回目の手紙を書いた。
返事がきたのだが、まるでちんぷんかんぷん。

私が書いた手紙を、おそらくAさんは、10文字くらいしか読まなかったのだ。
おそらく彼は人の話が聞けないのだろう。
手紙も10文字以上は集中して読めないものと思われる。ツイッターですら彼には無理だ。

もしくは、ほかの人の話は聞くが、私の話は聞けないのだろう。
人は、自分より数段下に見ている相手(たとえば小さい子供とか)の話を聞かないものだ。

手紙の返事は「ぼくはそんなに飲んでいなかったと思います。自分の言ったことはぜんぶおぼえています」というもの。

8日、私は烏龍茶を飲んでいた。
彼は店につくなり、生ビール中ジョッキ3杯、白ワインハーフボトル一本(一人で)を飲み、そのあとフルボトルの赤ワインを(一人で)飲んだ。
打ち合わせをする酒量ではないと思うが、私がクエーカー教徒的な感覚にすぎるのだろうか?

「自分の言ったことはぜんぶおぼえています」と彼は手紙に書いているが、では訊きたい。
「なら、私の言ったこと、おぼえていますか?」と。

聞けばいいじゃんと思われますか?
聞けません。
聞いても、10字以上、読まないんだよ。「なら、私の言ったこと、おぼ」で、もう手紙はほっぽりだされるだけなんだということが、つくづくわかったから。


「Aさんて、調子のいい人、っていうのが俺の印象。調子のいいだけの人っていうか。あの人のことばにはなんの真実もなくて、ただ、その場、その場で、調子いいこといってるだけだから嫌いだ」
という作家の人が多かった。
そのたび、私は、Aさんはあれで小心なところがあって、それがそういうふうに出るんじゃないのかな、いい人だよと、弁護してきたのであるが、なんと無駄なことをしてきたのだろうと、さすがに思うに至った。

「おれとかBさんやcさんは姫野さんにちゃんとこういうこといえるけど、××なんて、なんにも言えないよ。おれとかBさんやCさんの話が聞けるってありがたいことだよ」みたいなことを、会うたびに言うAさん。

Bさんやcさんって、もう20年近く会っていない人である(他社の編集者で、文芸部署でなくなったために会う機会がなくなった)。
しかも、Bさんとcさんは、「姫野さんはAさんのそばにいないほうがよかったのかもしれない。Aさんの売り出し方が、姫野さんの作品を世の中の人に誤解を与えたようなところがあると思う」とアドバイスしてくれた人である。

もう走れません、と言って自殺したマラソン選手がおられたが、その苦しさに比べれば、たいしたことない苦しさだけど、もう否定できません、と心のうちを吐き出したい。
Aさんの顔を思い出しただけで、蕁麻疹がでるくらい、私はAさんの言動が不快です。Aさんに会うと、創作のひらめきというかインスピレーションといか、「あっ、きた、きた」って、あのカンジが一気に吹き消されます。

はやい話、「会うと書けなくなる編集者」、それがAさんです。
私のダメージはAさんの言ったことではなく、なんだか、自分が長い年月を不意にしてきた感に襲われたものである。とりかえしのつかないことをしたのではないかというダメージ。



★2010・7・2ブログ再録★
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