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(姫野カオルコtw) NHK海外ドラマシリーズ「晴雨計」をおぼえていますか?
過去にアップした↓の記事に、最近、ものすごくアクセスがあるのでトップに移動しますよ。なんででしょう?「晴雨計」が原因?それとも「NHK海外ドラマシリーズ」が原因?なんでだろう?
過去記事は↓
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NHKが夕方にやってた少年ドラマシリーズ「ロンドン大追跡」。おもしろかったのもあるが、あのドラマの、主人公3人の関係性がよかった。兄妹と、兄の友達だったかな。それとも全員、近所の友達だったかな。男の中に女が一人という、よくある配置なんだけど、それがべとべとしてなくて、3人がただ「ともだち」なのがよかった。

「ぼくらのナニー」になってくると、もう世代的に、放映時間のときにTVの前にいるような年齢じゃなかったのでみなくなったけど。
小学生のころは「かっちん」というのもおもしろかった。リンドグレーンの「名探偵カッレくん」を日本版にしたもの。あの主役の子役はいまはどうしているんだろう。

●でも「晴雨計」は、少年ものではなくて、大人向きのもの。NHKはときどき「海外ドラマシリーズ」というのを放映していた。
1970年か1969年。
毎週だとか毎月ではなく、たまに、かためて放映される。「さあ、明日から連続4日で、海外ドラマシリーズが放映されます」と「NHKの番組案内」みたいなコーナーでおしらせがあって、放映される。
22時スタートとか、21時20分スタートとか(NHKって、そんな中途半端なスタートがよくあった)だから、対象は大人。
たしか字幕だったような。

このシリーズを、私はよく見て、毎回、感動していた。どれも見応えある、優秀な作品ばかりだった。
なかでも『晴雨計』というドラマが忘れらない。
今になって、ますます思い出す。

おぼえている方いますか?
たぶん放映は1970年じゃなかったかな。小6の3学期に見たような…。すると1971年か。それくらいのころの放映。


製作国は、白人の国。
アメリカではなかったと思う。イギリスでもなかったような。フランスでもなかったような気がする。ドイツじゃないかなあ。ドイツかスウェーデンだったような。オランダかも。
テーマは老人問題。

70代(と小学生には見えた)の男性Aがいる。妻には先立たれていて、娘か息子家族と同居しているものの、居心地が悪い、のかなにかの事情で一人暮らしだったか、ちょっと記憶がない。
同じくらいの年齢の女性Bがいる。夫に先立たれていて、やはり娘か息子家族と同居しているのか、なにかの事情で一人暮らしだったか、これもちょっと記憶がない。
とにかくAとBは、現在、わびしく暮らしていて張り合いがない。
そんな二人が、公園で知り合って、仲良くなる。
もう年だから、恋というのではなく、一人でいるよりは二人で暮らしたらどうか、ということになる。

そして、今住んでいるところより、もうすこし大きな町に越して、働いて暮らそうということになる。
そのときのセリフ(字幕だった記憶があるんだけど)をよくおぼえている。
「わたしも、子守でもなんでもして」
というセリフ。

なんでもいいから働いて、二人で暮らしてやっていこう。
AとBは決めて、約束して、ある日の朝、その大きな町へ行く列車の出発時刻のちょっと前にホームで待ち合わせる。
当日、二人とも旅支度でホームにやってくる。

列車がホームに入る。さあ、列車が来たよというよなことを言い合う。
そして、列車は、彼らのすわるベンチの前で停車する。
しかし、彼らはだまったまま、立ち上がらない。
だまっている。
発車ベルが鳴る。
だまったまま。

そして列車はゆっくりと動きはじめ、ホームから去る。
二人はベンチにすわったまま…。
これがラストシーン。

このドラマは、ものすごく胸に響き、私はその夜、ずっと寝つけなかった。
翌日も、授業中にそのことを考えてしまい、クラスメートに話したかったが、廣瀬先生の6−1でこのドラマを見た同級生はみあたららなかったので話せなかった。

もしかしたら、マホービンで活躍するセマセヨウジくんが見ていたかもしれないが、「ねえ、セマセくん、昨夜、NHKの海外ドラマシリーズを見なかった?」と話しかけるようなことは、小学生ではしないし、セマセくんは学校で一番よくできる(いや、滋賀県でも1、2を争う、勉学スポーツ絵画音楽すべてによくできる)男子だったので、私のような下々の児童がおいそれとは話しかけられない男子だった。
セマセくんのことはさておき、というわけで、この「晴雨計」というドラマ、だれかおぼえている方おられますか?
姫野カオルコ連絡方法はここを参照
https://himenoshiki.com/himefile/lettar.htm
(2015年10月ブログ再アップ)




連絡はデジタルがあたりまえになった今日に、手紙やはがき、という通信方法は、若い人には抵抗あるというか、手紙やはがきを出したことがない、という人もいると思う。

だが、ラインやメールでカンタンに通信できるということは、気持もカンタンになるということで、それが進むと、謹みのなさ、無礼にもなっていく。

人と人との距離がやたら縮まることが、そんなにいいことだろうか。私にはそうは思われない。人と人は機会や縁あって出会い、その出会いが深まっていくには、さらに縁や、あるいは年月が必要で、そうしたことを抜かした交流は、さして意味のないもののように思われる。

買った商品についての質問だとか店を予約するだとか、事務的なことは早く連絡がつくほうがよい。だが、こうしたことは〃交流〃ではなく、たんなる〃連絡〃である。

知らない人間、自分とは未知の相手に、なにかメッセージを送るのなら、手紙やはがき、という距離を保った通信手段であるべきだと、私は思うのである。