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★小説家。嘉兵衛は雅号。「嘉兵衛」で「かおるこ」と読む。
 
ちょっと前のもの
 
(姫野カオルコtw.)平成の終わりというより、ようやく昭和が終わるように感じられる
平成が終わるというより、これでようやく昭和に幕がおりたという感じがしてならない。平成は、「章が変わった」というより「1行アケ」みたいな感じが、どこかにずっとあった。

高校のとき、剣道部の森修子さん(仮)が、「どうしよう。私ら、明治生まれみたいになってしまう」と心配していたのを思い出す。「明治生まれ、て、ものすご、おじいさんおばあさんていうかんじするやんか。そやけど、今の皇太子さんが天皇さんにならはったら、大正時代みたいになると思うねん。そやから、私らすぐに、明治生まれみたいな人になってしまう、どうしょ」と言っていた。

修子さんは、歯の下左5番に金色の詰め物治療をしていたので、大きな声をだしたり笑ったりすると、きらと金色に光った。上記の心配は、もちろん笑いながらのものであったので、平成が終わる日には、修子さんのことを金色の光とともに思い出すのである。

小学校や中学校では、私は彼女のようなタイプに会わなかった。地域的に。高校では、ときどきみかけた。勉強もスポーツもできる、というタイプは、小学校にも中学校にもいたが、そういう人は、勉強もスポーツも家にかかわることもクラスでの社交も、なにか顕在で、その人間を、他人が見るときに可視化しているどのジャンルにおいても、そうであることは顕在であってあたりまえだった。中学までは。

でも、高校に入って、他人に可視化している部分が、どれも問題のないことが、すんなりしている人というのが、ずいぶんいることを知らされた。

学年の男子も、他学年の男子も、他校の男子も、わざわざ「見学」にきたくらい、かわいかった宮×直×さん(水沢アキをもっと美人にして、ほっそりしたような)は、勉強もできて広島大学に受かったのに、滋賀大に進んだ(当時は国立一期と、二期が別試験日だった)。「女の子だから、自宅から通えるところでないとだめだ」とお父さんが反対したときいた。そういう時代だったから、女の子が東京に行くには、村人がなっとくしてくれるような道徳的な理由(信仰だとか、先生になるために教育学部に入るだとか)がないとだめだった。

そういう時代、とはなにも戦争前ではなく、修子ちゃんが心配していたのが笑えるような、そんなつい昭和の終わりのことなのである。