姫野カオルコ(嘉兵衛)のブログ…運営&宣伝=KOGA工房

★小説家。嘉兵衛は雅号。「嘉兵衛」で「かおるこ」と読む。
 
ちょっと前のもの
 
ちあきなおみ、1972年12月、オリコン

ポルといっしょに載った.jpgちあきなおみの「喝采」が大ヒットした1972年。

これは朝日新聞2016年、6月25日のbe紙面↑

この年の曲で好きな曲を、朝日新聞がデジタル会員にアンケートした結果と、当時のオリコントップ10が横に載っている。

オリコンも、読者アンケートも、現在では考えられない結果である。日本の歌の中に1つだけ外国の歌が入っているんである。

字が小さいからわからないだろうから、下に書くよ。

まず、当時のオリコントップ10

1−女のみち(宮史郎とぴんからトリオ)

2−喝采(ちあきなおみ)

3−漁火恋唄(小柳ルミ子)

4−小さな体験(郷ひろみ)

5−雨(三善英史、田中角栄の下の写真)

6−同級生(森昌子)

7−愛の休日(ミッシェル・ポルナレフ)

8−そして、神戸(内山田洋とクールファイブ)

9−折鶴(千葉紘子)

10−あなたが帰る時(三善英史…なんと二曲トップ10入り、あなた女?シルコットパフ…って若い人にはわかるまい)

 

朝日新聞読者票(やはり1曲だけ洋楽が入っているんである)

1−喝采

2−せんせい(森昌子)

3−雨

4−そして、神戸

5−女のみち(ううむ、オリコン1位もこっちでは5位なのは朝日新聞読者対象のアンケートだからだろうか?)

6−バス・ストップ(平浩二)

7−虹をわたって(天地真理)

8−愛の休日(ミッシェル・ポルナレフ)

9−折鶴

10−ふたりの日曜日(天地真理)

11−狂わせたいの(山本リンダ)

12−同級生

13−漁火恋唄

14−れんげ草(ビリーバンバン)

15−悲しみよこんにちは(麻丘めぐみやで、サガンやのうて)

 

若者(30歳以下)でも、ちょっと音楽にくわしい人ならシルビー・バルタンもアダモも知っているのに、ミッシェル・ポルナレフとなると首を傾げる。年かさの人(65歳以上)も、知らない。

ポルナレフは、ほんとに世代をチョー限定して知られている歌手である(日本では)。

だが、このように、日本の歌の人気チャートにすら1曲まじってしまうほど、大人気だったのである。

アイドルの麻丘めぐみに「悲しみよこんにちは」という題で歌わせたのも、ポルナレフ人気にあやかって、フレンチな香りを出そうとしたのである。それくらい人気だったのである。

 

感慨深くこの紙面を見た。本当に感慨深かった。「ミッシェル・ポルナレフ」という活字が印刷された朝日新聞(亡父が信奉していた)の、その次のページに自分の原稿も掲載されているからである。時間の流れが過去に現在に行き来し、きゅーっと倒れそうな感慨に、しばし床にひろげた新聞をじーっと見ていた。

鳩山由紀夫の夫人、宝塚、メナムに赤い花が散る fm姫野カオルコ(嘉兵衛)
受験で日本史を選択した人にはおなじみ。
玄洋社です。
ここの寺田さんの長女のカオルコさんが鳩山家に嫁に行かれたわけです。
カオルコさんのお姑さんが共立女子大創立者の鳩山春子さんです。

鳩山由紀夫総理のおばあさんがカオルコさんです。
私の世代が子供のころ、おばあさんにはよくカオルコさんとかサクラコさんがおられました。
テツエコさんというのもおられました。

鳩山カオルコさんも、カオルコというのが「いやだわ、婆さんくさいわ」と思われたのか、途中から「カオル」に変えてらっしゃる。

さて、カオルコばあさんには、お孫さんが何人かおられる。
ユキオさんの弟さんも議員さんです。
その奥様は『少女フレンド』の表紙を飾っておられた、あのかわいい人。
風邪をひくと「風邪、ジキになおって〜」と風邪薬ジキニンをすすめてくれた高見エミリーちゃんです。
ユキオさんもかわいいタカラジェンヌを娶られ、弟さんもかわいいタレントを娶られたのでした。

ユキオさん夫人は、47期生で、宝塚時代の名前は若みゆき。
初風諄と同期。初風さんは「大抜擢で1967年で主役の相手役に……」という人だから……若さんは1968年ごろ舞台に立たれてたのかしら?

たしかそのころ、宝塚は『メナムに赤い花が散る』というのを宝塚大劇場でやったのでは? 
実はそれを、当時小4だった私は大人の人に連れてもらって宝塚まで見に行ったのです。そのときの舞台の、アユタヤ王朝時代のインテリアが「ステキー〜」と思ったのをおぼえています……。
「メナムに赤い花が散る」を、私、もういっかい見てみたいなあ。

2009年9月14日記事・再録)

profile

 月刊PHPより−【ひ】姫野カオルコ(ひめの・かおるこ)日本の小説家。1958年滋賀県甲賀市生まれ。非大衆的な作風だが独特の筆致の心理小説で読者層は男女同数。『昭和の犬』で第150回直木賞を受賞。最新刊は『謎の毒親(新潮社』。最新文庫は『純喫茶(PHP文庫)』

連絡先は「姫野カオルコ公式サイト」から http://himenoshiki.com/

 

ホテル・カリフォルニアはなつかしくない、1980年に胸キュンにならない、理由、舟木一夫、日曜ブログ4つめ fm姫野
K本irのエアロで、曲が流れはじめると、「これ、懐かしい人ー」と、k本先生が訊いた。
何人かが手をあげた。「ホテル・カリフォルニア」だった。私が手をあげなかったので、同い年のノリちゃんが「ヒメちゃん、なんでよ、知ってるでしょ」と言って、「先生ー、ヒメちゃん、手をあげませんー」と言った。

私は年齢をごまかしたくて手をあげなかったのではなく、「懐かしい人ー」という質問だったから手をあげなかったのだ。
「ホテル・カリフォルニア」という曲はきいたことがあるが、それは19歳の人が「さくらさくら」とか「ベートーベンの第9」とかをきいて、なんの曲かはもちろん知ってるが、「なつかしい」とは感じないのといっしょである。

私は大学生時代に、なんの郷愁もない。いやだったというのではない。懐かしくないのだ。もっと正確にいうと、「大学生」という立場や、大学生が主人公のドラマ、小説、漫画に興味をそそられない。自分が大学生のときのことも、だから興味がわかない。
興味がわかない理由は、ブログで書くには長くなりすぎるのでやめる。

それでまあ、エアロの時間に話はもどって、
「いや、若く見せようとしてるのではなくてですね、私はもっと気持ちが昔にあるのです…」
と言ったら、
「だれ? だれくらい?」
と栗本先生が聞くので、
「舟木一夫」
「えっ、舟木一夫」
と先生が返し、先生はマイクをつけているので、「舟木一夫」という部分が大きくスタジオに響いた。
生徒さん全員、大笑い。あんなにスタジオが(^0^*にわいたことはないというくらい。

でも、ノリちゃんは私と同じ年なのだから、舟木一夫は知っているわけだ。
でも、ノリちゃんは舟木一夫にはぜんぜんぴんとこない。
多くの人は、なんで、あんなに10歳以下のときのことを忘れてしまうのかな。

そのあと、ストレッチをしていると、72歳くらいの会員さんが、私のそばにやってきた。
「あなたのご本を読んで、ふしぎだったのよ。古いことばかり書いてあるから。あの人、若いのになんでこんなに古いことを知っているのかしら」
とおっしゃる。

うーん、でも、司馬遼太郎先生だって、べつに坂本龍馬とつきあいがあったわけじゃないと思うんだよね。思うというのはへんか。つきあってなかったよ。断言。その時代に生きてたわけじゃないのだから。

まあ、こうした話は、スポーツジムでは言ってはいけない話題なんだ。
「エッセイ」もしかり。深く入らないように、えぐらないようにしなくてはならず、だから、私は、いわゆるエッセイというのを書くのが嫌いです。日曜は3、4つ更新されています↓。
怪奇大作戦、岸田森 by姫野カオルコ(姫野嘉兵衛)
小学校から同級生のケイコちゃんが、高校時代に買ったという「新劇名鑑」の1ページを写真メで送ってくれた。岸田森の顔写真。。。

私はむかし、岸田森に本当に恋をしていた。ほんとにほんとに。胸が痛くなるほど恋していた。なにが好きかといって、スーツを着た袖口に腕時計をしていて、その腕時計を見るとき、スーツの袖とワイシャツが見えるのが、なんだかもう、ほんとに興奮した。きっと学校の制服姿の女性に興奮する男性の心理はああいうかんじなんだろう。

わりに知らない人が多いんだが、岸田森は岸田今日子とイトコである。
やっぱり親戚なので、個性的どうしなのか。
岸田森は、たしか法政大学出身……。
「新劇名鑑」には「趣味は蝶の採集」とある。これは中学のころ、私もどこかで読んだ。異常性格者が主人公の「コレクター」(映画)を思い出し、この人にフィットした趣味だなあと思ったおぼえが……。
 
なぜ岸田森が好きになったか。その原因は「怪奇大作戦」である。牧さんという役をしていた。sri(科学捜査研究所)でスーツを着ていた。
「怪奇大作戦」はいまみても傑作で、このブログを見ていてくださるみなさんにもおすすめです。「ウルトラQ」の次が「ウルトラマン」、次が「ウルトラセブン」で、次が「怪奇大作戦」。初回放映は「怪奇、壁抜け男」。

この主題歌は、「闇をひきさく、あやしい悲鳴、だれだ、だれだ、だれだ、悪魔が今夜もさわぐのか、エスアールアーイ、謎をとけ……」というやつ。
(たぶんユーチューブなどでアップしている人がいると思うのでよかったら見てください)
これのソノシート(薄い、ペラペラのブルーの下敷きみたいなレコード)が付録についてた。「小学四年生」の付録だった。
イントロがちょっとなって、歌がはじまる前に
「ギャーッ」と叫び声(男)がはいって、上記の歌になる。
オクタカシと、フカオトシアキくんと、ケイコちゃんが、私の家に来たことがあって(理由は忘れた)いっしょにあそんで、このレコード(ソノシート)をかけた。
そしたら、「ギャーッ」という叫びをみんながまねした。
やはり子供だったので、おもしろかったようだ。叫ぶのが。
みんなで叫んで、叫びを強調するあまり「ギャーッ」の「ーッ」のあと「ッペッ」と、つばをはくみたいになった。
それ以来、学校で、ケイコちゃんが「ギャーッ、ッペッ」と言うと、フカオくんとオクくんが、つづいてすぐ「ペッ」といい、三人で「ギャーッ、ッペッ」「ッペッ」とはやしたててたのが、いまではなつかしくたのしい思い出です。

もう岸田森も今日子もこの世の人ではなくなりましたが…(;_;)
さよなら東横渋谷駅、青山学院、東横ボード ダバダバダ男と女 by姫野カオルコ(姫野嘉兵衛)

滋賀県の田舎町から東京に出てきた私は、東横線渋谷駅を見たとき、「男と女」みたいと思いました。
クロード・ルルーシュ監督のフランス映画「男と女」、主題歌シャーラーラー、ダバダバダ、ダバダバダ にのって、二人がリヨンだかどこかの駅で待ち合わせる駅みたいと。フランスの駅じゃなくても、親指シフト開発の企業富士通単独提供番組「世界の車窓から」を見ていると、ヨーロッパの駅舎には、わりと東横線渋谷駅のような雰囲気のものが多かったような。

青山学院大学文学部の同級生と飲み会をするときは、当時はケータイ電話がなく、みんな東横線改札出た右の、ちょうど昨日まで売店のあったあたりに、黒板の伝言板があり、それを「東横ボード」と呼んでいました。

「じゃあ、6時に東横ボード」などといって待ち合わせるのがつねでした。
つい最近まで、私は、たとえば編集者(1980年生まれ)と待ち合わせるのに「××時に東横ボード」と言っており、相手から「東横ボード? なんですか、それ?」と訊かれていたものでした。

「東横ボードあと」も、もうなくなるのね…。
「電車を待ってるだけで、あなたもアヌーク・エーメの気分」「特急か各停かで迷ってるだけで、きみもジャン・ルイ・トランティニャンの気分」にさせてくれた、あのすてきな駅舎も…。

ああ、さびしいなあ。
昭和は遠くになりにけり。
http://www.youtube.com/watch?v=Kq7M_5MH1_0

荻窪の銭湯 by姫野カオルコ(姫野嘉兵衛)
ひとり暮らしをする1980年代の若者にとって、「風呂のある部屋」は贅沢なもので、そんな贅沢な部屋に住める若者は「特別にリッチな若者」だった。たいてい銭湯に通っていた。

私の通っていた荻窪の銭湯は、墓場の隣にあった。お寺の隣といったほうがいいのだろうが、塀から卒塔婆がちらほら見えている横にたっていた。

夜は11時半に閉まる。そのころ私は「9時半ごろにお茶の水からもどってくる」生活をしていたから、もどってきて、ごはんを食べてから行くとすると、けっこうあわただしかった。

そして、夜の、その銭湯までの道は、なんだかまっくらで、卒塔婆の細い影が、いっそう暗いかんじを与えた。

「あの銭湯はどこにあったんだっけ?」と思って、今の荻窪を歩いても、まったくわからない。駅のそばだったのだが……。

(2009・10・4記事再録)
幽霊探偵ホップカークやプロ・スパイや農園天国など by姫野カオルコ(姫野嘉兵衛)
月曜は
「スパイ大作戦」
「刑事コロンボ」

火曜は
「奥さまは魔女」(フジサワ薬品提供)
「かわいい魔女ジニー)
「スパイのライセンス」(大阪ガス提供)←はじめは土曜の8時半からで「プロ・スパイ」という名前で連ドラ。提供大阪ガスかわらず。

水曜は
「幽霊探偵ホップカーク」
「インベーダー」
「恐怖映画」(恐怖映画、という番組枠名だったんだよ)

木曜は
「巨人の惑星」

金曜……金曜……金曜にあったものが思いだせない……金曜って、なぜ記憶がないんだろう?
「鬼警部アイアンサイド」も、火曜だったような。「鬼警部アイアンサイド」のオープニングがそののち、「ウィークエンダー」の「新聞によりますとー」のオープニングに。

土曜
既述のとおり、はじめの「プロ・スパイ」
「おお猛妻、イブとケイ」(夜十一時から。提供はレブロン)
「ゆかいなブレディ家」
「かっこいいママ、ジュリア」(うーん、これは曜日の記憶が不確かだ。提供はサロンパス※出してる会社)

「ぼくらのナニー」
「謎の円盤UFO」

日曜
「人気家族パートリッジファミリー」(午前11時からはじまった)
「農園天国」(お昼1時からだったかな、十二時半だったかな)
「プリズナー癸供廖別襭隠瓜から)

※このときのCMソングは♪のびてちぢんで、またのびて、ちぢんでのびて、またちぢむ〜、サロンパスイー(E)、サロンパスイー、サロンパスイーイ♪
村上春樹よりも春樹なのは/町田といえば小田急線じゃなくて、男は強くなくては生きていけない/チャンドラー/by姫野カオルコ(嘉兵衛)
今、ラジオで「戦士の休息」が流れてきた。一世を風靡したのう。春樹といえば村上じゃなくて角川だったのう。
あのころ、「男は強くなくては生きていけない、やさしくなくては生きてゆく資格がない」というのは角川書店の社訓だと信じていた人、多かったのではないか。
そして、この歌は角川書店の社歌だと信じきっていた人も多かったよ。ではお聞きください。どうぞ↓
http://www.youtube.com/watch?v=ehBBrZUx6Yk
バレンタインデーに世代が出る/姫野カオルコ(姫野嘉兵衛)

【バレンタイン 1 】

「世代差」はバレンタインデーに出ます。
バレンタインデーが日本上陸したのは1970年ころだと思う。私は小5だったので、まわりは「バ、バレン?なにそれ?」という反応しかなかった。
店でもバレンタインデーに特化した売り出しはしてなかった。私はアソートチョコを一袋買い、うち1こをアラン・ドロンにあげた=アラン・ドロンのポスターにしんぜた。「しんぜる」という言い方も妙ですが。しんぜてから、自分で食べた。2月だったので、まだ三島由紀夫は割腹していなかった。万博もまだゲートが開いてなかった。

あさま山荘事件はバレンタインデーのころであった。1年くらいでバレンタインデーはずいぶん普及しており、コマストアでも「お包みいたしますか?」というのをしていた。

しかし1970〜1980年くらいまで。
つまり、バレンタインデーが日本に上陸して普及しきった10年間(=私が12歳〜23歳という、若い娘さんの時期)においては、バレンタインデーというのは現在のあり方とはちょっとちがった。
思い切って告白する日」だった。「」が、「思い切ってチョコを渡す」ことで、あなたが好きだという告白に「代える」日であった。

現在でも私の世代には↑この感覚が根底にある。だから「バレンタインデーというのはカップルには無関係の日」という感覚が根底にある。
めでたく相思相愛になった人は、なにも「思い切って」「告白」を物品で「代替行為」する必要はない、という感覚。

だが、1968年くらい以降生れの世代からは、「バレンタインデー=チョコをもらう日」という感覚のようで、「思い切って」という部分は抜けてしまっており、「チョコをいくつもらえたか」によって、なにか自分の満足感を抽象的に満たす日に変わったようである。

さらに1980年くらい以降生れの世代になると、「バレンタインデー=お中元・お歳暮」みたいになり、「ひごろお世話になっている人にチョコを渡す日」という感覚になっている。
なので女性が女性に渡すことも最近はふつうである。
世代全体的にもこうなっているので、私も、お世話になっているエアロビクスの先生などに渡すのだけど、世代的には、根本的な感覚は、やはり1970年のころではある。


【バレンタイン 2 】

さて、舟木一夫なり郷ひろみなりマッチなりキムタクなりニノくんになり、遠く離れた世界の芸能人に告白するという行為を、大人になるとたいていの人は「かわいい」「こどもだった」と笑うが、そうだろうか?
こうした告白の心情こそ、ひた隠しにした肉欲のドロドロのエロスの顕在化であることを、どうして嗅ぎつけないだろう。まったく大人というのは、忘れっぽくていかん。

「主要登場人物が17歳〜38歳である恋愛小説や恋愛映画(恋愛もの)」に、私は興味が持てない。関心がわかないから、書く気がしなくて困っている。
17歳〜38歳を主人公にした「恋愛もの」は、もっとも売れ筋なのに、それに関心が持てないというのは致命傷である。

それでもガリレオのように、「それでも、恋愛というもののピークは11歳〜15歳」だと私は思うのである。「エロスのピークは4歳〜10歳」だと思うのである。
幼稚園女児を見よ! 剥き出しの女ではないか。剥き出しのエロではないか。小3男児を見よ! あの裸体写真を見るまなざしのランランとした力を見よ! 剥き出しの男ではないか。

こないだのラジオ「日曜天国」での安住紳一郎さんの話にも顕わられているではないですか。
安住さんを「顔から火が出そうになった」「恥ずかしいーっ!」にさせた、小学生女児(子役)の「女のエロ」。「女のエロ」をあんなに「剥きだせる」のは、彼女が子役だからではない。彼女が小学生だからだ。
なんで、大人は忘れてしまうのだろう。自分がエロをあんなに剥きだしにしていたという事実を。なんで大人は「子供は無邪気だ」と思うのだろう。
無邪気ってのはね、あなた、それは、福島のラーメン屋さんだよ。
http://r.tabelog.com/fukushima/A0701/A070101/7000329/dtlrvwlst/171084/

昭和33年、渋谷、センター街で/姫野カオルコ(姫野嘉兵衛)
昭33渋谷センター街の写真.JPG←いま、どうしておられるのでしょうか、この男性は? 昭和33年、渋谷センター街を歩いておられた方……。この写真、よくあちこちに出ていますが、ご本人も、「あっ、これ、おれだ」とおわかりになるのでしょうか? 

よかったら、こちらもどうぞ↓
http://himenoshiki.com/himefile/talk.htm